2006年04月27日

京都CDL5年と僕。建築の立場から。

 2001年4月26日の記念シンポジウムを皮切りとして発足した京都CDL。今が2006年4月27日。ちょうど5年が経ってしまった。僕は立ち上げ時からメインで関わっていたから正味6年くらい京都CDLとともにいたことになる。別にそんな個人的センチメンタルな旅におつき合い(道連れ?)願いたいわけではない。たが、6年携わってきて改めて思うことがあるので、発足5周年記念として一文書きしたためてみたい。

 「京都CDLは京都に関心があるさまざまな大学研究室が多様な視点から、、」このフレーズを今まで何回口にしたかわからない。立場上仕方ないのだが。この何とも魅惑的な「さまざま」「多様」は実は間違うと非常にヤバイ言葉なのだ。

 確かにいろいろな人が交わってそれぞれの考えを披露しあい、自分を相対化しながら研鑽していくのは間違いなく魅力ある行為である。だが、それが実り多いものとなるための絶対的条件がある。それは個々が自分が身のおく立場(専門分野)からの明確な視点をもちえていることである。「多様」という蜜のような言葉の影でこの前提が忘却されていることが非常に多い。

 げのむ1号と2号の企画編集や記事執筆をともに行ったH氏という人がいた。
彼は自分にはまるで縁のない産業社会学部の人であった。当時、大きな反響をよんだ京都の価値を金額換算する特集「京都まるごと How much」をものした人だ。彼とはよく飲む機会にも恵まれて、こんな質問を受けたことがあった「建築って、実はよくわからん分野なんやけど、どういう観点から思考するの?」

 ドキッとしたと同時にピンときた。これが「いろんな」人間が集まる意味なんだと。そしてこのような瞬間に立ち会えて、CDLをやって良かったとようやく実感したのだ。個々が明確に自分の思考の在り方を示さないとそもそも集まる意味なんてないのだ。そうでないと「なんとなくいろんなことやってみたい、集まっていたい」症候群に陥いって軟弱な「サロンもどき」になるのが関の山なのだ。

 H氏の質問に対する僕の解答の具体的な言葉は忘れてしまったが、当時と意識は変わっていないので、その意識とともに僕がCDLに関わってきて考えてきたことを僕が常に身をおく建築の立場から改めて記述したい。僕の立場は学生のまとめ役であるにしても、その前に1個人なのだから。

 京都CDLで、よく誤解されるのは、単なる「京都の端っこ好き」ということである。「京都はまん中ばっかり着目されるので端っこを攻めて独自性でも出そうぜ」なんていう捉えられ方である。実際に「端にある面白いもの」「珍奇なる風景」を頻繁に「げのむ」などでレポートしているので、そんな見られ方も仕方ないだろう。また「京都ブランド」の利用法としては上手い手でもある(「ブランドの反転」=結局は「ブランド依存」なのだ)。

 ただ5年もそんな馬鹿げた活動に時間を費やすほど暇ではない。先の芳雄氏のブログにもあったが、いま編集大詰めの「げのむ6号」の特集は、京都の境界だ。ここで重要なのは周縁でなく境界ということである。境界とは、水平な日常世界の背後にある、別な世界(異界)との垂直な交流を可能にする場所である。京都にはこのような場所が古来から沢山あった。しかも都市生活の積層の結果、たまさかあらわれたものだけではなく、京都初期設定の平安京計画時から意図して仕組まれたと考えられる境界もあるのである。これは一つの「推論の構築」であって真実と一致するかどうかはわからない。(史実も一つの選択であり、真実とは違う)。たが、これが僕が身をおく立場=建築からの視点なのである。

 京都の端には、現在でも非常に個性溢れる面白いものがある。それは都市経験として本当に魅惑的だ。このことは都市現象として皆と普通に共有できよう(好き嫌いはあるにしても)。だが、何故それらが生起するのだろう。その断片の収集から何を見い出すことができるのだろうか。断片として散らばる面白い風景を生産する機構を見つけだす。それも社会条件から検証するのではなく、空間の構成や組織といったフィジカルな観点から考察し、一つの大きな全体を構築するー構造を導きだす−。このようにバラバラなものをつなぎ合わせ一つの世界を空間的観点から構築する作業。これが建築なのだと常々考えている。そのためのキーワードが境界なのだ。

 平安初期の天皇が執拗に出かけて神と交信したという境界としての「野」、平安京を帯状にとりまく計画的空白地帯。秀吉が建造した都市に見えかくれする境界の設定。それらが背後で糸を引きながら生み出された近現代の迷宮都市。単なる周縁という言葉では、これらが1本の道筋の中で構築されなかったであろう。

 現代京都の断片的現象を起点に、境界という言葉を軸にして、古代からの空間構成を検証することで、全体を描き出すことを諦めなかったのは、僕が建築という立場を捨てなかったことだけによる。ひとつの具体的な建築物を計画して立ち上げるのも、ある観念をまとめあげるのも僕は同じ構築的手続きを踏んでいる。

 H氏に表明したのも、こんなような話しだったと思う。そしてそれなりに納得してもらえたと記憶している。それと同時に異分野であったH氏の話や思考法にはその後もいつも刺激を受けていた。彼も少なからずそうであったと思う。そして、こういう場としての京都CDLが在ることは非常に嬉しいことだと感じていた。この場を保持するとともに、僕自身は個人として建築的思考をより深めていこうと常につとめてきた。そして5年。現在も変わらぬ思いで京都CDLにいる。


おまけ。
 「モノ」であれ、観念であれ、断片に空間的組成を与え組み上げ構築していくこと。そしてそれができることが建築の職能だと考えてきた。ギリシア時代から建築は「原理を知るひとが行使する術」だったらしく、そう在りたいとも願っている。

 だが、ここ数年、新手の職業が勃発しているようだ。目に入るあるいは耳にするオシャレな語句や断片をまるで構築せずなんとなく気分で陳列するのを得意技とする職種である。しかも全く構築的でないにもかかわらず、ある種のムード(「京都らしい」とかと良く似ている)だけは醸しているという手練だ。

 非構築的な建築もそれが構築的手法や自覚的方法の末にあらわれるのであれば、それは完全な建築なのであるが、この職種の場合は無自覚な非構築(単なる陳列)なので、思わず感動してしまう。何と言う名前の職業かわからないので思わずたずねてみると「建築関係です」とのこと。頭がよく回らない僕は混乱してしまってもう大変。ややこしいから彼等の職能に見合った格好よい職業名を考えてみた。

例えば、「ちんれつ家」(←ひらがなでやわらかい雰囲気)か、洋風にいうなら「Ch-in-lezu.ca」(語源とかまるで関係ない分節だがムードだけはある)などはいかがだろう。「ちんれつ家」(仮称)は、そのムードだけで生けていけるそれはそれは見事な職業なのだ。「ちんれつ家の秘密」なる本でも出版していただけたら、それを愛読書にして秘訣を身につけて格好よく生きれちゃうのだが、、、。でも、僕にはとてもとても難しそうだ。というわけで、僕はあまりに古典的だが建築家であり続けようと思っている。余談御免。
posted by zukan at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

げのむ6号完成間近!!でテンヤワンヤ

京都げのむ6号の完成が近い。
僕の仕事はレイアウト、つまり情報の取り纏め役なので、記事に表現された執筆者の意図を掴んだ上で、誌面に落とし込むことが仕事の要諦であって、当然ながら取材等の実質的な内容に踏み込むことはなかった。
レイアウトという作業の宿命上、記事は隅から隅まで読んでいる。だから、今のところ、げのむ6号の記事を数多く読んでいる読者になる。そして実は、記事の内容をもう少し理解するために、掲載された「境界」の場所に行って、ふむふむと感心したりもしている。昨日は町の「境界」を守っていた地蔵堂をいくつか回って、祀られている石仏をまじまじと見ていた。写真や文字だけでは表現しきれない触覚的な、いや単なる感覚というより、もっと「直観」のような(というと傲慢だが)、もっと生々しい<風景>、見ている<私>と見られている<何者か>、存在と存在で真っ向から対峙しているような状況に置かれていることを改めて実感するわけだ。
「境界」の場所に来ると、これが京都なのか…長いこと京都に住んでいながら一体今まで僕は京都の何を見てきたんだろうか…と何もわからなくなる。京都の「境界」には、寺院や町家に代表されるような京都の「中心」にない、おもしろいものがたくさんある、それに寸分の誤解を差し挟む余地もない。しかしそれ以上に、「中心」ー「境界」という構図を超えた都市の相貌が僕一個のからだに覆い尽くすように迫っている、夢ではないまさに現実が広がっていることに、迷宮にさまよったかのような恐怖すらおぼえる。京都って何だ?寺院とか町家とか……しかし、本当にそうなんだろうか…そうかもしれない……いやしかし、この現実を前にして……何ひとつわからない。わからない、ということだけは少なくともわかる。じゃあ、一体どうすればいいだろうか。京都という固定観念をとりあえず括弧に入れて、目と耳と手と足と、あらゆる感覚を駆使してじっと都市を見つめなければならない。CDLの実践は、京都の構造を地道に洗い出し記述すること、「京都げのむ」は、理解するのは到底不可能とも思える広大な都市の現実に果敢に切り込んでいくための実践書なのではないか、単なる一デザイナーに過ぎない僕が意見するのは筋違いとも思えるが、6号編集者あるいは一読者として感じたのはそんなことだった。「何もわからない」都市にずっと眼差しを向け続けること、これは京都に限った話でないし、この方法は世界中で通用するはずだ。都市の現実を目の当たりにして二進も三進もいかない世界中の人に、たくさんの示唆を与えるのではないかと思っている。
posted by 芳雄 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

小さな戦い。

 「けんちくの手帳」、m_mさんがお書きの通り会は成功に終わり楽しい一夜でした。8時から講演ということで大人の方が集まる会?と勝手に思っていたら意外に若い方が多く。いろんな人に京都CDL&京都げのむを知ってもらえた事を嬉しく思います。
 当日は、準備とリハーサルを兼ねて午後二時に編集委員たちが拠点若杉荘に集まりました。ビデオコンテストで使った手作りスクリーンにパワーポイントを映しながらプレゼンの予行練習。よりよくするために感想を話し合い検討しました。販売する京都げのむも用意していざ会場へ、打ち合わせなどもして「けんちくの手帳〜京都げのむ〜」が無事終了した訳です。そんなうらで小さな戦いが…。私事ですが集まった14時から空腹と戦っていたのです。お昼を軽めに食べたこともあって、「お腹空いたな」と心の中で思っていました。タイミングを逃して結局会が終わる23時までご飯を食べなかったのですが、会の成功で気持ち的にはお腹いっぱいになりました。もちろん夜ごはんは食べましたけれど。
posted by mittan at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 所感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

京都CDL@「けんちくの手帖」の巻

先日、大阪は中崎町のカフェ「Common Cafe」 にて、あるイベントが開かれた。京都CDLの活動と京都げのむの面白さを世のひとたちに知ってもらうおうというものである。というのも、このお店では「けんちくの手帖」という、建築関係の自費出版本を紹介する企画が定期的に開催されており、今回は「京都げのむ」を取り上げて頂いたからである。

イベントが始まる午後八時ごろには、地下のお洒落なカフェはほぼ満席で、立ち見の人もいたような。。。みんなわいわいとドリンクを飲みながら、壇上の渡辺運営委員長と柳沢編集委員長の二人による発表が始まった。

パワポを使って、まずは京都CDLの活動理念、活動体制の説明から始まり、次に京都げのむの編集方針や記事の内容を紹介していくという具合にプレゼンは進む。今までとは少し違った角度で京都の問題や面白さを考える(「京都を疑う」)、あわよくば後世まで引き継がれるような希少なデータベース(銭湯、商店街、便所、川など)を作る(「資料性」)といった試みが、フィールドワークに基づき実践されているということが皆さんによく伝わっていたように思う。

とまあ発表の前半30〜40分は、今明かされる京都CDLの本質について、発表者もそれを聞いてる皆さんもわりと真剣な面持ち。でも後半は「げのむ」の中でもわりとくだけた感じの記事である「通りゃせん(旧称「通りゃんせ」)」や「京都黒穴」、「京都私的探求」なども交えて紹介していくうちに、会場には笑いが起こり、和やかなムードになっていく。

約1時間の発表が終わり、トークセッション前の休憩が始まると、若杉荘から持ってきた「げのむ」(1〜5号、各10冊ぐらい)は瞬く間に完売。京都CDLと「げのむ」の面白さを分かってもらえ、げのむ編集に携わるものとして、すごく嬉しかった。げのむやっててよかった!、と素直に思った夜なのだった。

(その後もトークセッション、フリートークと続き、Common Cafeの夜は更けていくのであった。「けんちくの手帖」のスタッフのみなさん、お疲れさまでした!)
posted by m_m at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月21日

めびうすのコツ。山科西山

 さて、あと1週間もすれば「東山表裏捻転攻」(ひがしやまめびうすたんけん)が開催されるが、今回は本番に先立って、この「たんけん」の視点のひとつを提示してみたいと思う。

 「山科西山」という言葉を御存知だろうか?山科はわかるが、その西山って、、。答えは簡単。山科盆地の西にある連続丘陵のこと。すなわち京都東山のことである。

 京都東山といえば、山麓に清水寺や知恩院、八坂神社に円山公園など、超メジャーな観光名所が目白押しな、あの東山である。その山を東に越えたところに広がるのが山科盆地。そう山科盆地からみたら京都東山は西山となるのである。

 当たり前と言えば、当たり前だが案外気付かない視点だ。僕の知人に山科出身の人がいて、彼はいたく山科を愛している。その彼が僕に「東山って、ああ西山のことやろ」といったことで僕の目からウロコが73枚くらい落ちたのであった。

 そこで改めてイメージしてみた。山科盆地に居を構える。その彼等にとっては日が沈んでいく山こそが「京都東山」な訳である。日が落ちかけ刹那盆地は夕焼けに染まり、ゆっくりと闇に沈んでいく、、そんな風景を象徴する山なのだ。僕らが普段描いているイメージとは全くもって違うことがわかるであろう。思い出すのは「日の昇るところの天子が、日の没するところの天子に、、」のあのフレーズ。

 今回は山科盆地にまず入り、「山科西山」山麓を歩きその後峠を越えて、「京都東山」を歩くわけであり、その空間的捻れを「めびうすたんけん」と呼んでいる。ただ、誤解して欲しくないことがひとつある。それは京都が「オモテ」で山科が「ウラ」だと決めてかかっているわけではないということ。「ウラ」と思っていたのに空間が捻れて「オモテ」になった、あるいは「オモテ」がいつの間にか「ウラ」に転じた、、。この捻れ転じることこそが重要なのであって、だからこそ「めびうす」なのだ。

 今度の断面調査では、山科入りしてるときは山科ならではの「自律した魅力」を捜し出せたらと思っている。「山科の一番の問題は、山科を中心に据えて、そこから発信していくという可能性を、今の山科区民自体が信じることができないことなのだ」という胸に響く言葉を恩師から聞いたことがある。その言葉の一方で、山科に誇りを持つ知人の顔が重なる。

 あれほど魅力ある地形(=小盆地)を僕はあまり知らない。そしてかつてはいろいろなものを発信してきた土地なのだ。今は奈良にある興福寺の原型が山科にあったのを初めとして、、。

 山科発の魅力の在り処を嗅ぎ付けて存分に堪能して、捻れながら京都にはいれたらと思っている。そんな視点をみなさんに、、ひとつ。

 
posted by zukan at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

断面事前調査。

 4月29日に行われる京都断面調査「東山表裏捻転攻」を前にして、運営委員5名でコースを事前調査しました。(京都断面調査の詳しい内容は「京都CDL」ホームページをご覧ください。)私、恥ずかしながら集合場所に迷ってしまい、集合場所に着く前に一度峠を越えてしまいました。迷うほど難しい道では全く無いのですが、参加者の方が迷わないよう誘導しようと勝手に決意した朝でした。
 雨女ともっぱらの噂のmittanのせいでシトシトと降る雨の中、調査開始。予定しているコースを実際歩き、発見した事をスケッチや図にして検討していきました。写真にあるようなおもしろ住宅が山際に潜んでいるので、気になる方は断面調査で実際に歩いて見つけてみてください。他にもいろんな発見があると思います。
 10月にブログで書いたzukanさんとの初とうげ越えから早いものでもう半年。あの時は「廃・神社」の異様なまでの恐ろしさに山科にダークなイメージを持っていましたが。時が過ぎたからか、今回の事前調査で山科に愛着を持ってしまったようです。

060415.jpg

posted by mittan at 00:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月08日

校正大会。

 久々の書き込みです。ブログはあまりアップされていませんが、げのむ作業は進行中。4月2日に校正大会がありました。みんなで記事を読んで誤字脱字を無くし、訂正を加える作業です。私が遅れて若杉荘に到着すると、真剣な顔で紙面を読む編集委員たち。その中に鉛筆をもち白い紙に向かう人、丸子さんと共に若杉荘管理人となったFさんです。みんなの「似顔絵描いて!」という要望にこたえてスケッチ開始。Fさんの作品集を見せてもらったり、描いた似顔絵を見せてもらったりして場がなごやかになりました。アンケート記事のコメントを話し合ったり、作業しつつも若干アルコールが入ったり、時間はあっという間に過ぎます。気付けば終バスの時間が・・・。私は途中で読みかけの原稿を残して帰りましたが、作業は夜遅くまで続いたようです。

kousei.jpg
posted by mittan at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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