2006年04月26日

げのむ6号完成間近!!でテンヤワンヤ

京都げのむ6号の完成が近い。
僕の仕事はレイアウト、つまり情報の取り纏め役なので、記事に表現された執筆者の意図を掴んだ上で、誌面に落とし込むことが仕事の要諦であって、当然ながら取材等の実質的な内容に踏み込むことはなかった。
レイアウトという作業の宿命上、記事は隅から隅まで読んでいる。だから、今のところ、げのむ6号の記事を数多く読んでいる読者になる。そして実は、記事の内容をもう少し理解するために、掲載された「境界」の場所に行って、ふむふむと感心したりもしている。昨日は町の「境界」を守っていた地蔵堂をいくつか回って、祀られている石仏をまじまじと見ていた。写真や文字だけでは表現しきれない触覚的な、いや単なる感覚というより、もっと「直観」のような(というと傲慢だが)、もっと生々しい<風景>、見ている<私>と見られている<何者か>、存在と存在で真っ向から対峙しているような状況に置かれていることを改めて実感するわけだ。
「境界」の場所に来ると、これが京都なのか…長いこと京都に住んでいながら一体今まで僕は京都の何を見てきたんだろうか…と何もわからなくなる。京都の「境界」には、寺院や町家に代表されるような京都の「中心」にない、おもしろいものがたくさんある、それに寸分の誤解を差し挟む余地もない。しかしそれ以上に、「中心」ー「境界」という構図を超えた都市の相貌が僕一個のからだに覆い尽くすように迫っている、夢ではないまさに現実が広がっていることに、迷宮にさまよったかのような恐怖すらおぼえる。京都って何だ?寺院とか町家とか……しかし、本当にそうなんだろうか…そうかもしれない……いやしかし、この現実を前にして……何ひとつわからない。わからない、ということだけは少なくともわかる。じゃあ、一体どうすればいいだろうか。京都という固定観念をとりあえず括弧に入れて、目と耳と手と足と、あらゆる感覚を駆使してじっと都市を見つめなければならない。CDLの実践は、京都の構造を地道に洗い出し記述すること、「京都げのむ」は、理解するのは到底不可能とも思える広大な都市の現実に果敢に切り込んでいくための実践書なのではないか、単なる一デザイナーに過ぎない僕が意見するのは筋違いとも思えるが、6号編集者あるいは一読者として感じたのはそんなことだった。「何もわからない」都市にずっと眼差しを向け続けること、これは京都に限った話でないし、この方法は世界中で通用するはずだ。都市の現実を目の当たりにして二進も三進もいかない世界中の人に、たくさんの示唆を与えるのではないかと思っている。


posted by 芳雄 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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