2006年06月20日

京都データベース:墓地

京都でよく目にするものでありながら、これまであまりデータ化されていなかった(と思われる)項目をとりあげて、コンパクトかつ高密度な資料にまとめ、その上分析まで加えてしまうという連載企画「京都データベース」。地味ながらも毎回もの凄まじい労力と時間の注ぎ込まれた、非常に贅沢な記事である。

3号「銭湯」、4号「商店街」、5号「川」ときて、6号は「墓地」。

ご存じの通り京都には墓がえらく多い。町を歩けば、そこらじゅうに墓がある。これは決して寺が多いことが理由ではない。寺があるから墓があるのではなく、人が死ぬから墓があり寺があるのである。京都は1200年のあいだ都市であり続けてきたが、これは言葉をかえれば、京都という都市には1200年間分の人々の死が堆積しているということだ。墓地の存在は、この当たり前でありながら忘れがちな事実を思い出させてくれる。そして墓地の立地(=死者をどこに葬るかという問題)は6号の特集テーマである「境界」と密接な関わりをもつのである。


●『京都データベース:墓地』(文・図:高橋俊也 全8頁)から内容の一部を紹介:

109_boti+.gif ←京都の墓地分布図 [p.109]

 京都では古代から京都盆地を取り囲む三山(東山、北山、西山)の麓に大規模な葬地が営まれでいたのは有名な話だ。京都盆地にみやこが造営されてから、都市の周りにあって、都市の境界を示し、都市の周辺空間を形成する上でのひとつの要素であった。

 そんなお墓も明治期の近代化を迎えると、都市計画や公衆衛生上の観点から忌み嫌われる施設として、市街地の整備の妨げと見なされるようになる。明治期と高度経済成長期を経て都市の人口が増えるにつれて、京都の市街地は整備拡大され、それは都市の周辺部にも及び、京都の都市空間は劇的に変化した。そしてそこにかつてから多数存在したお墓もまた、都市の空間とともに大きく変化することとなる。

 都市にあるお墓に目を向けてみよう。周辺に立地し京都における境界を示してきたたくさんのお墓に目を向けることで、都市空間の変容を如実に浮かび上がらせることができるのである。


posted by Q at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 6号紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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