2006年11月29日

二重や、三重(「みえ」じゃない)。

 いきなりだが、ここ数年、二重や三重(しつこいけど、「みえ県」に御執心とかではない)ということを考えている。

 つい先日、終わったばかりの「ミテキテツクッテ」のときも、そんなことを考えてた。なんやねん、それって感じなので説明してみたい。

 たとえばまちを歩いていて、やたらジクザク折れ曲がった道同士が何の調整もなく無防備にくっついてしまった奇妙な交差点にであったとしよう。「その場所のへんてこ具合がとても魅力的だ!」と、少なくとも僕は思ってしまう。それはその場所そのものに寄せる思いだ。

 「しかし、ちょっとまてよ」と思う。「この場所がこんなに素敵に歪んでしまったのは何故なんだ?」そう、それはおそらくその場所を包む地区全体の構造(骨格でもよいかもしれない)の在り方にそれを生み出すような原因があるはずなのである。ということは意識してないけど、そこに寄せる思いのさらに向こう側にはもっと大きな世界があるわけである。

 上は空間体験者をベースにした考え方だが、家や建築を創る立場でもうすこしこのことを考えてみると、、。

 ある奇妙な場所によりそうように建つ家。それはその1点の場所ともちろん密接な関係をもっている。そんな家の中に入る。すると何故だかひとつだけ押し入れがへんてこな向きをむいちゃっている。「なんじゃこれへんなの」って思う。だが、この押し入れは実はこの地区の基本骨格の向きに忠実にあわせてつくられてあって、地区全体から見たら、実は奇妙なのはこの家の基本的な向きの方だったのだ、、なんてことを妄想してしまうのだ(病気か?)。

 ある一点にありながら、より大きな世界での一点でもある。そしてそれらが不思議に絡み合うような家。建築。場所。そんなものにずっと惹かれている。

 さて話はいきなりとんで、地区ビデオ。僕もとってもしつこく、毎年作ってる。そしてとうとう6個目のビデオが今日完成した。それはまあどうでもよいのだが、、。

 ビデオ作っててこんなこと思ってた。僕は個人的に物語もののビデオ作りが好きなんで、今年も物語ものにした。物語。例えば、とてもベタだけど素敵なラブロマンスだったとしよう(僕のは違うよ)。そしてそのビデオの鑑賞者は単純にラブロマンスとしてなんだか感動しちゃったなあって、普通に楽しめちゃったりするとしよう。

 しかし、隠れた主題として、背景の風景がラブロマンスとはまるで別の物語を背負って展開してたとしたらどうだろう?そして、その交わらなそうな両者の距離がある場面においてだけ奇妙に交差するようなものだとしたら?

 これは先ほどの入れ子のような世界の重なりではないが、やっぱり二重の世界が表現されていることになる。そしてやっぱりそんなことを妄想し、そんなものに惹かれてしまうのだ。

 まちや都市を考えたり、ものを創ったり、そのいずれの場合でも、こんな多重なる世界を思いたいと、考えている。僕はここにいるけど、もっと別の世界にある僕でもあるんだ、というような世界。責任は持てないが、そんな世界は、とてもとても不思議で楽しいと思う。たぶんきっと。
 


posted by zukan at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 所感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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