2007年04月22日

mittanの思うこと。

ご無沙汰しています。mittanです。
「ちくじゅうブログ。」が開設されて、京都げのむ7号発刊に向けて少しずつ編集活動が動きだしてます。
年度の変わり目で、編集委員も環境の変化などがあり、しばらく編集活動が進まずにいました。私もやっと新しい環境に慣れてきたので、動き出します。このブログ、「京都CDLげのむ隊活動日記」なので…、活動日記書きます!!(ちょっとおかしな宣言ですが…。)「最近、何やってるの?」っていう感じなので、編集会議の様子や個人の編集作業の所感などちょこちょこ書いていきたいと思います。なので、改めてよろしくお願いします。
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2006年11月25日

ミテキテツクッテ。

お久しぶりです。mittanです。
「ミテキテツクッテ」参加された方々、お疲れ様でした!
 今回は、ミテキテの準備をいろいろしたので無事成功した事に去年よりも喜びを感じました。事前調査に行ったときは、学区の現在ヒントを見つけることが難しく疎水べりで3人で頭をかかえたり、3地区を設定したものの時間と体力的な問題を考えて1地区減らしたり、いろいろありました。2回目の事前調査に行ってようやくヒントがつかめてきたときはホッとしました。

 そんなことは置いておいて、当日はどうだったかというと…。実は自分が結構必死になってしまっていたので、あまり全体のことは語れません(笑)いやいやそんなことはなくて、書きます。

 1日目のまち歩きは私、若造ながらリーダーをやっておりました。ポイントを説明しつつ無事地区をまわって、個人で見るものに対しての興味が違うのでじっくり見たり、さっと見たり、地図を見て書き込んでしながらそれぞれに感じ取った様子でした。

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会場を移して午後からの制作は、ヒント談義によって見つけた地区のヒントを生かして、みなさん黙々と作業をされていました。誰もが真剣です。(自分も制作していたのでその様子を写真で伝えられず申し訳ないです。)時間内に完成した人も、間に合わず悔しい思いのした人もいましたが、やりきった達成感をもっておられるようでした。

 2日目の展示&公開審査では制作者がプレゼンテーションを行って、一生懸命自分の作品について語る様子が素敵でした。審査委員の先生からもコメントやアドバイス、応援などが入り、一つ一つの作品を丁寧に見て、審査が進んでいきました。順位も無事決定し、よかったなぁと思えるミテキテツクッテでした。
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2006年08月26日

東一口再訪。

 京都げのむ6号で連載「通りゃせん」に取り上げられた『東一口集落』(ヒガシイモアライ)執筆者はm_mさん。東一口には私も関わりがあって…、実は母の実家が東一口なのです。(私の叔父さんと伯母さんに取材しました)最初、「巨椋池ツアー」と題して境界特集の地形編の記事を書くための調査に訪れ、その時に訪れた場所のひとつが東一口でした。一緒に訪れたメンバーの興味をひいて通りゃせん推薦となったのです。残念ながらその時は執筆者のm_mさんはおられず…。

 それからしばらくして、通りゃせん・東一口の調査取材が行われ、記事ができたのです。(調査の様子は2005年10月23日のブログを見てください)
 なぜ、今頃そんなことを書くのかというとタイトルの通り再訪したから。というより、普通にお盆の里帰りです。久々に訪れた東一口はカンカン照り、集落は変わりなく静かな時間が流れておりました。

 叔母さんに会ったら「あんたの書いた文章おもしろかったわ」とほめてもらって。うれしかったです。それとm_mさんが出来上がった京都げのむを持ってきた時の話を聞きました。m_mさんからは大学の研究室の人といっしょに届けに行ったということは聞いていたのですが・・・。
「集団で変な人が歩いてくるなぁとおもて。近所の人でもないし…、宗教の本を売りに来たのか、はたまた何かのセールスか、それにしては若そうな人たち…。」と考えていると、近くまで来て知っている顔が一人。m_mさんでした。「おばさん」とよばれてびっくりしたそうです。「お礼を言って本2冊も置いていってくれたよ。」とそんな話をしていました。よその人はめずらしい、やっぱり通りゃせん(?)な東一口なのでした。

 話は変わって、近くで見ると違って見える物って時々ありますよね。普段、家に帰る道は大抵同じでわざわざ無駄に労力使いたくないもの。なのですが、時々のひらめきによって無駄な苦労をやってしまうのがmittan。その日も自転車での帰り道、『あっ、こっち通ってみよ』と道に入ると、いつも遠くから見えていたものが違って見えたのです。それは、単なる工場のダクト。とにかくいっぱい。これだけあるとニョキニョキと壁から生えてきたように見えて。窓をよけて曲がった形などダクトが少し変化もありながら並ぶ様子が面白いと感じた。ちょっと道を入っただけなのにダクトの異様な存在感で不思議な世界に入ったような気持ちになりました。無駄な苦労で小さなよろこびをゲットしました。

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2006年06月21日

発送作業。

できたてホヤホヤの「京都げのむ6号」
18日の日曜日にげのむ倶楽部の方など郵送する分を、梱包する作業をしました。初めて出来上がった青く輝く6号を見て喜んでいると即行作業開始。げのむと書面を袋に詰めて封筒に入れて宛先を貼って完成です。いつもの流れ作業で、順調に作業が進んでいきました。『早く作業を終えて、げのむを読みたい!』と思いつつもくもくと動いていると気付けば16時。(作業を開始したのは13時)とても晴れた暑い日で、部屋に6人いるとやや温室っぽく、窓から30分に1度だけ風がひょろりと吹くという謎の環境はメンバーの体力を徐々に奪ってゆき…。若干の疲れが見えてきても、『あとちょっと!』と思っていると、Q編集長からの「これ、次の分。」とのひと声。永遠に終わらないかと思われた梱包作業が終わったのは20時前でした。結局、その日は疲れてしまって、作業の合間にちょこちょこ読んだだけでした。

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2006年04月27日

京都CDL5年と僕。建築の立場から。

 2001年4月26日の記念シンポジウムを皮切りとして発足した京都CDL。今が2006年4月27日。ちょうど5年が経ってしまった。僕は立ち上げ時からメインで関わっていたから正味6年くらい京都CDLとともにいたことになる。別にそんな個人的センチメンタルな旅におつき合い(道連れ?)願いたいわけではない。たが、6年携わってきて改めて思うことがあるので、発足5周年記念として一文書きしたためてみたい。

 「京都CDLは京都に関心があるさまざまな大学研究室が多様な視点から、、」このフレーズを今まで何回口にしたかわからない。立場上仕方ないのだが。この何とも魅惑的な「さまざま」「多様」は実は間違うと非常にヤバイ言葉なのだ。

 確かにいろいろな人が交わってそれぞれの考えを披露しあい、自分を相対化しながら研鑽していくのは間違いなく魅力ある行為である。だが、それが実り多いものとなるための絶対的条件がある。それは個々が自分が身のおく立場(専門分野)からの明確な視点をもちえていることである。「多様」という蜜のような言葉の影でこの前提が忘却されていることが非常に多い。

 げのむ1号と2号の企画編集や記事執筆をともに行ったH氏という人がいた。
彼は自分にはまるで縁のない産業社会学部の人であった。当時、大きな反響をよんだ京都の価値を金額換算する特集「京都まるごと How much」をものした人だ。彼とはよく飲む機会にも恵まれて、こんな質問を受けたことがあった「建築って、実はよくわからん分野なんやけど、どういう観点から思考するの?」

 ドキッとしたと同時にピンときた。これが「いろんな」人間が集まる意味なんだと。そしてこのような瞬間に立ち会えて、CDLをやって良かったとようやく実感したのだ。個々が明確に自分の思考の在り方を示さないとそもそも集まる意味なんてないのだ。そうでないと「なんとなくいろんなことやってみたい、集まっていたい」症候群に陥いって軟弱な「サロンもどき」になるのが関の山なのだ。

 H氏の質問に対する僕の解答の具体的な言葉は忘れてしまったが、当時と意識は変わっていないので、その意識とともに僕がCDLに関わってきて考えてきたことを僕が常に身をおく建築の立場から改めて記述したい。僕の立場は学生のまとめ役であるにしても、その前に1個人なのだから。

 京都CDLで、よく誤解されるのは、単なる「京都の端っこ好き」ということである。「京都はまん中ばっかり着目されるので端っこを攻めて独自性でも出そうぜ」なんていう捉えられ方である。実際に「端にある面白いもの」「珍奇なる風景」を頻繁に「げのむ」などでレポートしているので、そんな見られ方も仕方ないだろう。また「京都ブランド」の利用法としては上手い手でもある(「ブランドの反転」=結局は「ブランド依存」なのだ)。

 ただ5年もそんな馬鹿げた活動に時間を費やすほど暇ではない。先の芳雄氏のブログにもあったが、いま編集大詰めの「げのむ6号」の特集は、京都の境界だ。ここで重要なのは周縁でなく境界ということである。境界とは、水平な日常世界の背後にある、別な世界(異界)との垂直な交流を可能にする場所である。京都にはこのような場所が古来から沢山あった。しかも都市生活の積層の結果、たまさかあらわれたものだけではなく、京都初期設定の平安京計画時から意図して仕組まれたと考えられる境界もあるのである。これは一つの「推論の構築」であって真実と一致するかどうかはわからない。(史実も一つの選択であり、真実とは違う)。たが、これが僕が身をおく立場=建築からの視点なのである。

 京都の端には、現在でも非常に個性溢れる面白いものがある。それは都市経験として本当に魅惑的だ。このことは都市現象として皆と普通に共有できよう(好き嫌いはあるにしても)。だが、何故それらが生起するのだろう。その断片の収集から何を見い出すことができるのだろうか。断片として散らばる面白い風景を生産する機構を見つけだす。それも社会条件から検証するのではなく、空間の構成や組織といったフィジカルな観点から考察し、一つの大きな全体を構築するー構造を導きだす−。このようにバラバラなものをつなぎ合わせ一つの世界を空間的観点から構築する作業。これが建築なのだと常々考えている。そのためのキーワードが境界なのだ。

 平安初期の天皇が執拗に出かけて神と交信したという境界としての「野」、平安京を帯状にとりまく計画的空白地帯。秀吉が建造した都市に見えかくれする境界の設定。それらが背後で糸を引きながら生み出された近現代の迷宮都市。単なる周縁という言葉では、これらが1本の道筋の中で構築されなかったであろう。

 現代京都の断片的現象を起点に、境界という言葉を軸にして、古代からの空間構成を検証することで、全体を描き出すことを諦めなかったのは、僕が建築という立場を捨てなかったことだけによる。ひとつの具体的な建築物を計画して立ち上げるのも、ある観念をまとめあげるのも僕は同じ構築的手続きを踏んでいる。

 H氏に表明したのも、こんなような話しだったと思う。そしてそれなりに納得してもらえたと記憶している。それと同時に異分野であったH氏の話や思考法にはその後もいつも刺激を受けていた。彼も少なからずそうであったと思う。そして、こういう場としての京都CDLが在ることは非常に嬉しいことだと感じていた。この場を保持するとともに、僕自身は個人として建築的思考をより深めていこうと常につとめてきた。そして5年。現在も変わらぬ思いで京都CDLにいる。


おまけ。
 「モノ」であれ、観念であれ、断片に空間的組成を与え組み上げ構築していくこと。そしてそれができることが建築の職能だと考えてきた。ギリシア時代から建築は「原理を知るひとが行使する術」だったらしく、そう在りたいとも願っている。

 だが、ここ数年、新手の職業が勃発しているようだ。目に入るあるいは耳にするオシャレな語句や断片をまるで構築せずなんとなく気分で陳列するのを得意技とする職種である。しかも全く構築的でないにもかかわらず、ある種のムード(「京都らしい」とかと良く似ている)だけは醸しているという手練だ。

 非構築的な建築もそれが構築的手法や自覚的方法の末にあらわれるのであれば、それは完全な建築なのであるが、この職種の場合は無自覚な非構築(単なる陳列)なので、思わず感動してしまう。何と言う名前の職業かわからないので思わずたずねてみると「建築関係です」とのこと。頭がよく回らない僕は混乱してしまってもう大変。ややこしいから彼等の職能に見合った格好よい職業名を考えてみた。

例えば、「ちんれつ家」(←ひらがなでやわらかい雰囲気)か、洋風にいうなら「Ch-in-lezu.ca」(語源とかまるで関係ない分節だがムードだけはある)などはいかがだろう。「ちんれつ家」(仮称)は、そのムードだけで生けていけるそれはそれは見事な職業なのだ。「ちんれつ家の秘密」なる本でも出版していただけたら、それを愛読書にして秘訣を身につけて格好よく生きれちゃうのだが、、、。でも、僕にはとてもとても難しそうだ。というわけで、僕はあまりに古典的だが建築家であり続けようと思っている。余談御免。
posted by zukan at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

げのむ6号完成間近!!でテンヤワンヤ

京都げのむ6号の完成が近い。
僕の仕事はレイアウト、つまり情報の取り纏め役なので、記事に表現された執筆者の意図を掴んだ上で、誌面に落とし込むことが仕事の要諦であって、当然ながら取材等の実質的な内容に踏み込むことはなかった。
レイアウトという作業の宿命上、記事は隅から隅まで読んでいる。だから、今のところ、げのむ6号の記事を数多く読んでいる読者になる。そして実は、記事の内容をもう少し理解するために、掲載された「境界」の場所に行って、ふむふむと感心したりもしている。昨日は町の「境界」を守っていた地蔵堂をいくつか回って、祀られている石仏をまじまじと見ていた。写真や文字だけでは表現しきれない触覚的な、いや単なる感覚というより、もっと「直観」のような(というと傲慢だが)、もっと生々しい<風景>、見ている<私>と見られている<何者か>、存在と存在で真っ向から対峙しているような状況に置かれていることを改めて実感するわけだ。
「境界」の場所に来ると、これが京都なのか…長いこと京都に住んでいながら一体今まで僕は京都の何を見てきたんだろうか…と何もわからなくなる。京都の「境界」には、寺院や町家に代表されるような京都の「中心」にない、おもしろいものがたくさんある、それに寸分の誤解を差し挟む余地もない。しかしそれ以上に、「中心」ー「境界」という構図を超えた都市の相貌が僕一個のからだに覆い尽くすように迫っている、夢ではないまさに現実が広がっていることに、迷宮にさまよったかのような恐怖すらおぼえる。京都って何だ?寺院とか町家とか……しかし、本当にそうなんだろうか…そうかもしれない……いやしかし、この現実を前にして……何ひとつわからない。わからない、ということだけは少なくともわかる。じゃあ、一体どうすればいいだろうか。京都という固定観念をとりあえず括弧に入れて、目と耳と手と足と、あらゆる感覚を駆使してじっと都市を見つめなければならない。CDLの実践は、京都の構造を地道に洗い出し記述すること、「京都げのむ」は、理解するのは到底不可能とも思える広大な都市の現実に果敢に切り込んでいくための実践書なのではないか、単なる一デザイナーに過ぎない僕が意見するのは筋違いとも思えるが、6号編集者あるいは一読者として感じたのはそんなことだった。「何もわからない」都市にずっと眼差しを向け続けること、これは京都に限った話でないし、この方法は世界中で通用するはずだ。都市の現実を目の当たりにして二進も三進もいかない世界中の人に、たくさんの示唆を与えるのではないかと思っている。
posted by 芳雄 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月09日

壬生寺いいとこ不思議なところ

都市の境界が今回の特集のテーマなのですが、大きく地形編と都市編に分かれます。
地形編は山、川、池等。私は川を担当していますが、大体記事が出来上がりました。
都市編では、京都の町内で祀られている地蔵堂にスポットライトを当てた記事を書いています。
なぜ境界のテーマで地蔵堂を取り上げるか、といいますと、地蔵堂の歴史を探っていると、どうやら地蔵堂は、町と町の境界や、道の合流点等異質なものが交わる境界に建てられていたらしいのです。そこで現在の地蔵堂の配置を探ってみることで、京都の知られざる一面が見えてくるのではないか、ということで地蔵堂について調べているところです。

さてさて、京都で地蔵といえば、8月23、24日の地蔵盆が有名です。これが共同体の祭祀として戦後注目され始めました。ここで地蔵堂を新たに設けた町もあるようですが、この時期だけ地蔵をお寺から借りてくる町もあるようです。お地蔵さんが借りれるという衝撃の事実!これは面白いと思い調べてみると、壬生寺でやっているとのこと。ということで出かけてみました。

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壬生寺の本尊は延命地蔵菩薩であり、京都の地蔵の寺として最も有名なお寺です。
上は本堂の写真ですが、ぱっと見、普通の光景です。しかし、あなどるなかれ…。本堂の左右に何やらこんもりしたものが見えます。

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これは本堂の左手にある千体仏塔。ミャンマー・バコダ様式の塔を建て、千体のお地蔵さんをそこに並べてしまおうというなんとも大胆な発想。中には入れません。お地蔵さん、あんなに高くに行ってしまってオロロ…と少し悲しい気分です。
これらのお地蔵さんは明治の京都の地区整理の際、撤去されたお地蔵さんの一部が、地蔵の寺として有名だった壬生寺に預けられたものです。中には室町時代のものもあるそうです。

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地蔵盆に貸し出されるのは、こちらのお地蔵さん。本堂の右手にある小さなパゴタ?の方です。こちらは近いからか、小さいからか、大分親近感があります。お顔の見えない古いものから、新しいもの、中にはアメリカ・オレゴン州のお寺から寄贈されたお地蔵さんもいます。
地蔵盆の頃は50体ほど貸し出されるようで、最近はマンションの町内会の利用も増えていようです。1体3000円ほどで貸し出されるようです。しかもこの制度、「レンタル地蔵」ではなく、「出開帳」と呼び、寺宝を外に貸し出す出開帳の制度は江戸時代後期から行われていた、といいます。当時の出開帳が地蔵盆にも行われていたかどうかわかりませんが、現在の出開帳からは、地蔵盆という共同体の結束を高める祭祀には興味はあるが、日常的な管理は避けたい、という願いを見て取ることが出来ます。地蔵盆の管理にはいろいろと問題もあるようですが、街中で見かける地蔵堂にはいつも美しい花が活けられています。萎れている花をほとんど見ることはありません。下の写真は西綾野小路の地蔵堂の管理について書かれた看板です。供花する日がきちんと決められているのが分かります。

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そこにあり続けるのと、一度なくなってしまうのでは、地蔵堂に対する人々の意識が変わってしまう、そんな気がします。壬生寺の千体仏塔はいわばお地蔵さんの孤児院のようなもの。
町にもらわれて大切に拝まれる日が来るといいな。
posted by ren_joe at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

キムチ!!!

証拠写真いただきました!見てください、このビビットさ。げのむ記事との対比がたまりません。しびれます。

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みなさんに「キムチの素から作ったの?」等々、大変興味を持っていただいたので、簡単にレシピ、紹介しちゃいます。げのむブログ初のお料理コーナー開設〜!パチパチパチ

ちゃっちゃらちゃらちゃらちゃっちゃっら〜ん♪
白菜1玉は四分割ぐらいにして、丁寧に塩をして一晩置きます。
【りんご1/2個 いかの塩辛 200g あみの塩辛汁 小さじ2 にんにく4〜5粒 しょうが1かけ おかゆ 80g 煮干と昆布のだし汁1カップ】をミキサーにかけ、 【長ネギ 1/2本 ニラ1/2把 粉唐辛子 大さじ5 中唐辛子・粗唐辛子大さじ4】を混ぜ込み、塩をしてしんなりした白菜の葉一枚一枚に丁寧に塗りつけます。半日ほど常温においてから、冷蔵庫で保存し、好みの味に漬かった頃(辛味がまろやかになるのは3、4日後くらい)に食べます。(主婦と生活社「きょうも、おいしかったね。」より)

キムチにおかゆが入っていたなんて、ビックリですよね。でもおかゆが入っていることで粘りが出て、白菜とも絡みやすいようです。キムチの味はキムチの味、としか思っていなかったのですが、実際に一から作ってみると、キムチが本当にいろいろな食材の味によって支えられていることを知りました。りんご、決め手です。甘みが出ます。塩辛はキムチにコクと塩分を与えます。粉唐辛子、危険です。韓国の唐辛子は辛くないといいますが、粒子が細かくなる程辛くなり、これがキムチの辛さの主犯格的存在といえるではないでしょうか?

キムチはずばり食材のチームプレー。ひとつひとつが役割をきちんと果たしているからこそのキムチ味。そして「京都げのむ」も少しずつその味を熟成しつつあります。ブログの達人、いつも笑顔で場を和ましてくれるmittanさん、クールな風貌に似合わないセンチメンタルさが持ち味のm_mさん、斬新なアイデアで紙面を独特な世界観に包むレイアウト担当茂雄さん、細やかな気遣いで編集委員をサポートしてくれる若杉荘の主、丸子さん、独自の世界観でピリリッと絞まった発言と永遠の少年ぷりが魅力的なzukanさん、そして今回の特集に誰よりも熱く取り組み、面白いネタへの興奮ぷりが素晴らしい編集長等々、本当に持ち味の異なるメンツ揃いです。編集作業もそろそろ大詰めを迎えます。げのむがどんな味に仕上がるのか、本当に未知数な部分が多く、今からとても楽しみです。
posted by ren_joe at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

にぎやかあとの、燃え尽き気味だった編集会議。

 先のrenjoeさんの投稿で、にぎやかだった真相が明らかにされた編集会議。そうだったんですね。そしてその、にぎやかだった後に間が悪く登場した人物がいたといいます。

 彼が入ってきた時は、確かに、お酒のにおい、香しいキムチの薫りが。「おおっ素晴らしい」と思ったら、キムチは空っぽで、編集委員のみなさんは、ほろ酔い気分。華やかさの残滓だけが漂っておりました。そして「ああ、今日も編集、無事終わったぜ。」というやりとげた感が皆の顔にありあり。その間の悪い彼こそ僕、ZUKANなのでした。

 こんな時に記事のお話するのもいかがなものかと、変に遠慮しながらも「境界論の射程」の打ち合わせを編集長に持ちかける。編集長のノートパソコンまでがほろ酔いなのか、幾度もフリーズ。その間に、ノリノリの女性陣は飲み屋にくりだして消えてしまいました。

 まあ、僕にとっては少々ほろにがい、編集会議だったのですが、打ち合わせはスムーズに進みました。ありがとう。ほろ酔い編集長。

 さて、僕の編集作業は、mittanと共同の、「山」の記事を書き上げると脱稿できるまでになりました。

 今回は特集が(僕の専門ともいえる)「境界」ということで、それに絡む記事が12〜3ページくらい、そして毎号担当の図鑑が8ページ、という、とても、とても大量の記事を抱えていたので、一時、「とても無理だ。それゆえ、書き置きして、境界からあの世へと逝こう」と思ったほどでした。

 執筆最速王は無理だとしても、最遅王は免れそうな6号。良かった良かった。おっと、その前に「山」の記事頑張ります。

 
posted by zukan at 08:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

にぎやかな編集会議。のわけ。

2月28日の編集会議は、確かに多くの編集委員が集まり、にぎやかでした。だがだが、 mittanが来た時ににぎやかに感じた理由がもう一つ。編集長が撮った証拠写真が来てからアップしようと思っていましたが、 mittanのブログ熱に後押しされ、真相告白しちゃいます。

実は、この時、編集会議といいつつ、半分キムチパーティーと化していたのです。その大元であるキムチを持ち込んでしまったのが、このワタクシ。もやもやした時に急に思い立ち、いそいそと作り始めたキムチがいい具合に漬かってきたので、編集会議に持ち込んだのです。半分予測はついていたのですが、編集長の反応は速かった!!財布を取り出し、「ビール、買ってきて。」御見それしました、編集長!
げのむ資料はざざ〜っと脇へやられ、キムチがテーブルの真ん中に。ドキドキドキ…。「ん!?んまい!!ん!?か、辛い〜!!」そんな調子でビールはどんどん減っていき、すっかり和気藹々。げのむ編集委員はお酒が入ると本当にいい顔します。これでこそ、作りがいがある、というもの。料理好き冥利に尽きます。

さてさて一通り飲むとまた仕事モードへ戻り、記事の打ち合わせをしました。編集会議に出ると、読者の方に分かりやすく書く、ということの難しさを痛感します。まだまだ青二才ですねー。でも少しずついい感じになってきました。川の記事の芳雄作レイアウト案を見せていただいたのですが、芳雄さんのレイアウトセンスはとても斬新で、面白い紙面になりそうです!色々な人が紙面に関わることで、表現が研ぎ澄まされていく、その過程がとても面白いな、と強く感じました。乞うご期待!
posted by ren_joe at 19:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月15日

ビデオ総評と我が「げのむ」な日々と、この10年。

 無理をいって中林先生に頼んでいた、地区ビデオコンテストの総評がようやくホームページにアップされました。この総評を読みつつ、作品紹介を見直すとビデオの雰囲気を108倍は楽しめることでしょう。中林先生本当にありがとうございました。

 さて、最近は何かと毎日「げのむ」な日々である。年度末なので本業の設計業務もえらく急がしいのだが、それでも毎日記事を書き進めている。朝6時に起きたりして。

 そして、ようやく「便所日和」の記事が完成した。編集長にわがままいったので前編と後編をわけてもらえたのだが、その分、トイレと京都に関してじっくり考えることができた。末尾の「考察日和ー京都便所の傾向と対策」はその賜物である。是非読んでください。長かったトイレとの日々。部員の突然の休部とデータ消失という衝撃の事態に死にかけながらチャリで極寒の醍醐におもむいたり、、。でもやってよかった、です。

 今取組んでいるのは「京都境界論の射程」。これは今回の特集の理論的骨格となる小論文である。ただ、僕にとって、このテーマ自体は、この特集にあわせて急遽持ち上がったものではない。10年前の大学修士時代に、都市の片隅にひっそり隠れる、「空き地」や「奇妙な空間」を写真に納めることから、それは始まった。そしてそれらは都市の境界に現れることを知り、境界を主眼にした京都研究へ。博士時代に、境界としての「京都山辺の空間特質」を研究していたのが、CDLが始まる2年前である。その後はCDLの軌跡とともに、境界考察を進めて早くも5年目が終わろうとしている。

 そういうわけで、この小論は、特集の理論的骨格であるばかりではなく、僕にとっての京都研究の集大成にもなるのだ。

 みなさんには、そんなことは知ったこっちゃないのは、無論、承知ではあるのだが、
読んだら絶対に「おもろい」はずだと、勝手に確信している。CDLや「げのむ」が単なる京都の「端っこ好き」ではないことは、確実に証明できるだろう。キャッチコピーなんかではなく、本当に「境界が京都を支えている」のだ。

 異論は大歓迎だが、こちらも是非読んでもらえたら、と願っている。
posted by zukan at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月10日

新年、だけど大詰め

新年明けましておめでとうございます。
遅くなりましたが、今年も京都CDL、京都げのむ、そして「京都CDLげのむ隊活動日記」をよろしくお願いいたします。

この日記が最大限活用され、私たちの活動がより活発なものになれば…と強く願っています。日記管理人としては、とりあえず具体的な目標として「アクセス数」を伸ばす努力をしていこうと思います。

ところで、先日今年はじめての運営委員会が若杉荘で開催され、おもに「京都げのむ6号」の編集会議が行われました。今回は「会議」とはいえ、既に個々が編集委員長と個別に面談し、記事の完成にかかるという形式で作業は進みました。

昼ごろ若杉荘にやってきた編集委員長を筆頭に、Oggyさん、丸子さん、6Gさん、Ren_joeさん、mittanさんと、続々と若杉荘にやってくる編集委員たち。

私事だけど、僕自身は2月2日提出の修士論文のための図版作成作業を、何故か若杉荘をお借りしてやっていたので、編集会議を傍らで観ていただけなのですが、たまに口を挟んだりして参加させていただきました。昨年末にRen_joeさん、mittanさんと決行した「極寒の桂川河川敷調査」の調査結果(農作物・利用形態のマッピング)ができていたのは感動的だったなあ。

また、その他の記事についても順調(?)そうで、新年だけどまさに「大詰め」であります。
posted by m_m at 19:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

みんなの故郷、若杉荘。

 12月27日、それはいつもと変わらぬ、単なる年末のある一日。僕は職場の大阪にいた。地下街で昼飯を何となく食べて、何となく外に出たら、ふと電話に気付く。

 2年前に就職して、今は新潟にいるCDLのOG、BBさんからだ。「新潟の雪はどうですか。今年はたいへんでしょう。お察しします。」なんていうじじいくさい会話を開始する準備が万全だったのだが、「大阪に帰ってきました。今日か明日、みんなと会えたらと思って、えっと今日がいいです。」という怒濤の旧ピッチいきなりアポイント攻撃を真正面から受けて、とにかく、新拠点:若杉荘の管理人、丸子さんに連絡。丸子さんはCDLスタート時からのメンバーなので当然、BBさんのことはよく知っている。「今日ですか?あっ、大丈夫です。お待ちしております。」ということで、まずはほっとひと安心。

 次に、昨年からのメンバーで、CDLのクールな切れ者、m-mくんに連絡。彼はBBさんとは、CDLを介してではないけどお互い知っている、というようなことを僕は聞いていた。「そうですか。27日、今日なら都合つきます。」というあいかわらずのクールな回答。またまたほっとした。

 というわけで、この緊急アポイントメントに対して2人も確保できたら万々歳と、ようやく余裕ができた僕は、丸子さんに再度連絡。「何かあたたまる料理でも企画しといて。」
丸子さんは「わかりました。やってみます。」とのこと。

 そして日が暮れて、夕刻。思った通り、待ち合わせ場所に10分遅刻したBBさんを連れて若杉荘へ。1階ではあくせく鍋の料理をする丸子さんと、こたつに座してクールに朝日新聞社会欄を通読するm-mくん。ここは12/10に地区ビデオコンテストメイン会場だった場所だ。若杉荘は初めてだったBBさんもすぐに馴染んでくれたよう。なんだかようやく落ち着いて、鍋をかこんで、いろんな話しで盛り上がる。鍋の湯気で部屋はほんのりかすみ、みんなの家のような面持ちに変化していた。

 クールなのに感傷的なm-mくん。「今年は、いろんなことがあった激動の年でした、、長い一年でした、、。」僕も「いろんなことがあったなあ」と彼の感傷波動にやられてしまった。
よく考えれば丸子さんも、今年からいきなり、若杉荘の管理人を申し出て、ここをずっと守ってきたのだ。みんないろいろあったけど、そんないろんなことを包む場所がこうしてあって、良かったと思った。卒業しても全然かわらず、そして遊びに来てくれたBBさんを見るにつけてさらにその思いを強くした。

 飲みたいだけ酒をあおり、そのまま雑魚寝。なんだかんだいって、よい年だったような気がしている。ここがあって良かった。みんなの故郷、若杉荘。

 
posted by zukan at 09:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

桂川境界農業の実態3

12月18日。それは、日本全国が大寒波に覆われて大騒ぎしていた、そんな年に何度もない特別な日。
そんな日に限って私達は桂川河川敷に再び出向いた。目的は農作物の種類や、バラックのプロットをする等極めて地味ぃな作業だ。出来れば河川敷に来た農家の人にインタビュー、も考えていた。ところがどっこい、というか当然なのだが、こんな寒い日に農作業に来る人はとんといない。人通りの少ない寂しいそして寒〜い河川敷で、震えながら作業にあたった。
が、始めるとなかなか面白いものである。田畑は大きく二つに分かれることに気がついた。
つまり農家が単一作物を大量に育てているタイプと、区画を細かく割り多種類の作物を個別に育てる菜園タイプである。
農機具小屋は大きく3つ。木製柱梁構造にトタン等外装材をはったもの(はらないものもある。手作り)、竿など鉄製の柱梁構造のもの(手作り)、そしてプレハブの倉庫である。概してお金のかからない製法、材料で作られている。
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側面はハウスメーカーっぽい外装材に鉄格子付のガラス窓。一見プレハブ。
だが、何故か桂川仕様の前面(トタンの外壁に手製扉)と構造。
それは菜園タイプの畑についても同じ。バラックとなぜか竿が大量に置かれている。竿は領域表示と、夏野菜用の支柱に使われるとふんでいるのだが、それにしても多い。農機具小屋は基本的に農作業に従事する人の数に比例するようで、菜園エリアは大量の農機具小屋と竿で溢れていてなんとも異様な空気を漂わす。家庭菜園という言葉のイメージとはかけ離れた何故か違法性を臭わす空気なのである。もちろん違法性はなく、不動産を通じて賃料もきちんと払っているらしいのだが。
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さて調査も進み、雪も解け少し暖かくなったころ、キャベツを収穫しにきた農家の方を発見!急いで話を聞きに行く。嫌な顔せず、しかし手に持った鎌は決して離すことなく、ぶんぶん振り回しながら桂川について元気よく語ってくれた。最も印象に残ったのは後継者不足による田畑の空地化。そもそも菜園タイプもここに端を発する訳で、建物を建てられないこのエリアでは後継者がいなくなれば農家に貸すか、菜園として非農家に貸すしか道がないのである。貸菜園が増えてきたのもここ10年来。見たところ10分の1は今や貸菜園である。そしてぼつぼつと空く雑草だらけの田畑や休耕田。ここではそんな状態になってから、主の訃報を知ったりする。そのタイムラグは非常に都会的だ。都市計画によって守られた農業地帯であるが、少しずつ都市に侵食されつつある。そんな現状がこの河川敷の田畑をじっくり見ていくと少しずつ見えてくるのだ。
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寒さによく耐えた!こうしてまた都市へと帰っていく編集員達。おつかれさん。
posted by ren_joe at 15:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月15日

立体上映って、何?

 先日行われた京都地区ビデオコンテストの会場は、CDLの今年からの拠点、若杉荘。外観は地味だけど、長屋の1軒。管理人が一人常駐しているようだが、CDLの主要な会議が開催される他はこれまで大々的に使用されたためしがない。ならばこの際に、と持ち上がったのが、京都地区ビデオコンテスト上映会の開催だ。

 出展作品は全18作品で、出展者の皆さんに上映会に来てもらおうとすれば、かなりの来場者が見込まれた。当初の我々の予想を裏切り、一時は若杉荘での開催が危ぶまれた。でも、言ったからにはやらなきゃかっこわるい。運営委員の知恵を振り絞って編み出されたのが、来てくれた皆さんはご存じ、不完全双方向システム導入型の立体上映会の開催である。

 一部屋最大8畳というウィークポイントを何とか克服しようと、1階と2階の二つの会場のスクリーンに同時上映をしようということになった。問題は、上映終了後の審査会で、上下に離れた二つの会場での意見のやり取りが必要ということだ。そこで、一方の1階会場の風景映像が2階会場のスクリーンに映し出され、かつ、家庭用電話の親機と子機を使うことで、何とか声だけはつながる、という不完全双方向システムが採用されたわけである。

 とはいっても、この中途半端なシステムのおかげが、若杉荘の中につながっているけどつながっていないという奇妙な感覚がおかしみを引き出し、会は大成功を収めた。最後は1階に全員が集結、会は無事終了した。あらためて、こんな大勢の人が若杉荘に来ていたんだ、と感じた瞬間だった。

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posted by 丸子 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

ひとりぽっちじゃないけれど。

12月10日のビデオコンテスト開催のためその日は午前から準備があった。観光客でいっぱいのバスにゆられ「もう人手足りてたら正直ショック」と思いつつ少し遅れて若杉荘にたどり着いた。着いてみるとやる事はまだ残っていて資料を本にする作業をした。相変わらず「作業風景を撮らなきゃ」と思った私がカメラを出すと、その部屋にいたのが2人だけで…。(他の2人は別の作業)カメラを撮るには1人抜けないといけないわけで、一人っきりの部屋になってしまった。ビデオ上映のため荷物の無くなった部屋は引越し仕立てのよう。
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でも、広くなった若杉荘も人がぎゅうぎゅうになるほど集まってにぎやかな地区ビデオコンテストが出来てよかったです。
自分の作品主旨が読まれたときには「なんてばかなことを書いてしまったんだろう」と恥ずかしくて逃げたい気持ちでしたが、投票で自分のビデオに入れてくれた人がいたことがうれしくて、好感をもってくれた人がいたことに下手ですけど作ってよかったなと思いました。見てくれた人みんなに感謝の気持ちです。

今回のビデオコンテストでは初の京都CDLのCM上映が試みられた。上の写真も京都CDLの地区型特級建築士さんが撮ってくれたのだが、この写真を撮る数分前にCMの話が持ち上がったのだ。私が作業中にずいぶん前に話していたCMのことを思い出して「結局作らなかったですね。」といったのが事の発端、即日ビデオ制作をする事に…。手ぶれ知らずの名カメラマンが撮影・編集をして本当に出来上がってしまった。出来上がりを見てきれいさにびっくり、そして大爆笑でした。
posted by mittan at 00:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月02日

地区ビデオ達とともに。

12月1日、地区ビデオコンテストのビデオ提出締め切り日。うちの大学みんなのビデオを携えて若杉荘へ向かった。クラブを終え午後8時過ぎに学校を出たので疲れぎみでしたが、今回自分の大学でいろんな人がビデオを作ってくれたことがうれしくてテンション高め。
10時前に若杉荘に着いて、届いているビデオは私の持ってきたのと合わせて12本。まだ郵送で届く分も考えるとかなりにぎわったビデオコンテストになる予感。今回のビデオコンテストは某女子大がどっさりビデオを作ったらしい... 。
一時は「あ〜、もうダメだ。」と投げ出しかけましたけど、地区ビデオ私もなんとか作って提出できました!まあ出来は、ん〜どうでしょう。
とにかく、ビデオもたくさん集まっているようだし10日の地区ビデオコンテスト、楽しみです。
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posted by mittan at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

その後、会場にて…。ミテキテツクッタ。

 2日間にわたる京都巡回「地区型住宅」即日設計競技が大盛況ののち、ようやく幕を閉じた。 今回は巡回提案の2回目で、1回目の反省を踏まえたのが功を奏し、比較的「地区型」の提案が多く見受けられたし、公開審査会も盛り上がりを見せた。作品や当日の模様は後日、HPや『京都げのむ』で公開する予定なので是非ご覧ください。

 しかし課題が超ハードだった。地区の魅力を瞬時に抽き出し、かつ、それをヒントに模型で提案しなきゃならないのだから。しかも1日で。そのためにどのような事前準備や資料が必要か考えた。ほんの1週間前に課題が公表されたりと、参加者の方々には少々ご迷惑をおかけしてしまったのかもしれない。

 準備期間を経て開催日の当日まで、全体を通して見ていた私は、「地区型住宅」提案の実現、そしてイベントの成功に向けてなぜだか知らないが熱が入ってしまったように思う。そして、目の前に並べられた作品の数々にワクワクさせられた。

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posted by 丸子 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月19日

桂川境界農業の実態2

西部農業指導所に御紹介いただいた農家の方に会ってきました。

近所の徳大寺公園で待ち合わせる。15分前に到着して質問内容を整理しようと思っていると何やら近づいてくる人影が。仕立てのいいコートに赤い自転車、つやつやと輝く白髪。あまりに公園に不釣合いな感じがして目を疑っていると、なんとこの何ともお上品な御老人がその方であった。あまりにスポーティーな格好をしてきた私は少しもじもじ・・・。実はこの方、この辺り一体の野菜生産組合の組長さん。しかも昔の地主さん。そしてとっても御立派な門構えと邸宅。圧倒されっぱなしだった。

だが御本人はとても気さくな方で、桂川河川敷一帯(上野、徳大寺)の歴史等を教えていただいた。大正末頃には田畑が大分河川敷内に出来始め、戦後の食糧難でさらに田畑が増えた、とのこと。今は上野、徳大寺で農業をしているのは50人程で、農家が全国的にそうであるように、高齢化が進んでいるようである。耕作をしていない田畑も所々見受けられる。現代の農業は非常に難しい。だが、この一帯は調整地域であるため高価で売ることは出来ない。用途も農用地と定められているため、他に転用することも出来ない。農業を続けるしかない。出来なければ他地域の農家に貸すしかない。都市の制度に守られ、昔の風景を保ち続けるこの地域は、多重の人々の葛藤を抱える場所でもあった。

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河川敷でカメラを構えさせていただくと、「愛宕山をバックにしてください」との一言。作物を育てながら、何を想って愛宕山を眺めていただろうか。
posted by ren_joe at 00:23| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月15日

ミテキテ準備 「光速ゆっきー」の巻

 「ミテキテツクッテ」本番まで、あとわずか。作業も大詰め。そして修羅場な感じである。土日もお構い無しに準備作業だ。

 今は主に、当日配付する資料づくりを、猛スピードでおこなっている。粟田学区の歴史をまとめ、現在見る特徴をまとめ、かと思えば、「設計のコツ」を図解したり、、。ほんとう大変。

 そんな、ウルトラマンでも普通に呼びたい状況のなか、本当に強力な味方が若杉荘に到来した。名前は、ゆっきー。昨年まで京都女子大学チームの幹事をつとめあげつつ、CDL全体の企画運営にも辣腕をふるった伝説のメンバーである。今は卒業論文作業の真っ最中なので、ひさびさの参上であった。

 彼女を加えて、作業をどんどんとこなす。時間も空腹も忘れて、、。と、「空腹は忘却しきれんよなあ。」と密かにメンバー全員が魂からの「ぼやき」を胸に抱いたその時、「料理でも、つくましょうか」と、ゆっきー。光速調理で、次々と皿が運びこまれ、感動の嵐の中、、CDL史上最大の飢饉を免れたのであった。


 「ありがとう。ゆっきー」と、言う間もなく、彼女は風のように去っていたのだが。また、伝説がひとつ。

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posted by zukan at 15:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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