2006年09月13日

小京都の迷走町家図鑑-最終回-

 少し間があいてしまいましたが、いよいよ最終回です。前回は応用編ということで、よくも悪くも創意工夫の見られた町家を紹介しました。

 最終回は、角館の町家の今後の行方を考えてみる、そんな回にしようかと思います。

 では恒例のおさらいです。角館町家の典型的特徴三ヶ条です。

1、切妻屋根
2、妻入り(ちなみに京都は平入り)
3、前面にとりつく片流れの下屋(冬場のアーケードになり「こもせ」という)

 思い出してもらえたでしょうか?今回の典型例は故人(なんじゃそりゃ)です。

sincho.jpg

 これは有名な新潮社の創始者生家です。残念ながら今はありません。ここで注目してもらいたいのが前面の下屋です。完全にアーケード化して左右へどんどん伸びてるのがわかります。これこそ「こもせ」という冬場アーケードの本来の在り方を示す貴重なお写真です。それにしても角館の町家は2階部分の「建ち」が妙に高いのが気にかかります(要はえらく寸胴で短足)。

 さてお次ぎはこれ。

goike.jpg

 平家だけど、すっごく豪邸です。そう、これは角館町家の中で最も有名な「五井家」です。こんな立派なものを何故、今になって紹介するんだということですが、実はこの家、僕が曵家した町家と同じ通りに面しているために「軒切り」しなきゃならない運命となり、ほん最近その工事が完了したところです。「軒切り」とは文字通り建物の軒をあるラインでズバッと切断した後、形を整える方法です。今回のような緊急事態に対する処置として「曵家」と「軒切り」は2大対処法といえます。

 それはそうと角館の町家が寸胴短足な理由は、町家の元来の型である平家を、そのプロポーションのまま変更せず2階に持ち上げて、その下部に何らの調整なく下屋をつけた結果なのではと推測できます。プロポーション調整せず、そのまま上にあげてしまうなんて、さすが東北。太っ腹(?)

 ではここから今回の本題です。先に前面道路拡幅という事態に対して「曵家」と「軒切り」という対処法と、その具体例を示しました。では、今回の拡幅工事に際して、この通りに面する全ての家が、その二つの方法で対処したのでしょうか?いきなりですが回答を言うと「ノー」です。例にあげた二軒以外は全て解体、新築しました。

 「新築ってどんなの建てたのだろう?」ほらほら興味がつきません。それでは、新築さんを見ていきたいと思います。

machiya-fu.jpg

 手始めにこんなやつ。下屋が変則的(下屋というよりは1階寄せ棟に2階がつくという感じ)ではありますが、なんとか三箇条に近いものとなってます。切り妻部分も真壁やし、、、うーん何だか変。そりゃそのはず、この真壁は見せかけであとでそれらしく張り付けた単なる外装なのです。力を受けない梁型には、当たり前ですが部材の力動感ゼロです。仕方ないけど哀しい。

rikuyane-machiya.jpg

 お次はこれ。「要するに真壁っぽくしてたら町家的で、景観っぽいやろ。文句あんのか(東北弁に変換してください)」という迫力を感じてしまいます。なにがおかしゅうて豪雪地帯に陸屋根採用するのかわからないですが、おそらくはモダンへの憧れでしょう。憧れのモダンって何?って感じですがまああまりそこにはつっこまないでおきましょう。しかし箱型だけでは落ち着かないのか下方に「切り妻町家型」がぺったり。今後はこんなのが主流になるのかしれません(やめて欲しい)。

ironomi-kura.jpg

 次はこれ。「モダンやるなら抽象度アップと平滑にいかなきゃ」というクールな感じのもの。でも色だけは何だか町家的です。「いろのみ町家」と名付けましょう。今後はこんなのが一世を風靡するのかもしれません(すごくやめて欲しい)。

ironomi-machiya.jpg

 そしてこれ。よりモダン。でも隅部の縁取りがちょっぴり町家的です。「隅だけモダン」と名付けましょう。今後はこんなのが町をすべて埋めてしまうのかもしれません(頼むからやめて欲しい)。

universal.jpg

 最後はこれです。「どこにでもある普通の家やん」って感じです。というか、「感じ」ではなく本当に日本全国どこでもある住宅です。そう、「どうせ町家で在り続けられないなら、偽装しても仕方ないやん」というごもっともな意見が聞こえてきそうです。ほとんどゲームと化した町家偽装に疲れたのか、この手の住宅が少しずつ増えてきています。このタイプの家こそ、日本国内では本当にどこにでも建つ「ユニバーサルな戸建て住宅」です。見た目とかではなく、その「ユニバーサル」な意味においては、これこそがわが国のモダニズム様式なのかもしれません。「どこであっても等しく展開可能な均質な建築」だからです。

 さて、最終回というのとは別な意味で少し寂しい気持ちになっちゃいましたね。回の構成ミスかもしれません。すみません。

 ただ、ある「型」が惰性になってしまい、そのうち「型」への意識が表面への意識に転じ、最終的に「色あわせゲーム」と化していくのは、小京都だけでなく、京都自体、そして多くの他の都市でも見られる問題です。

 家に住み、家ととも都市に在り、とても個人的なよろこびに満ちているのに、新たな都市空間を誘導し、新たな「型」生み出すような家。そんな家が在る風景を強く願いますが、それを獲得するのはそんな簡単なことではないようです。迷走する角館の町家図鑑を作成してそんなことを想ってます。

 では、これにておしまい。またいつか、どこかで、御会いできたら嬉しいです(っていうかどっかにいくんかい。ちゃんとCDLの仕事しろよ!独りで自戒)。



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2006年09月04日

小京都の迷走町家図鑑02

こんにちは/おはようございます/こんばんは。(←時間に応じて適宜選択してください)さて、頼まれてもいないのですが、「小京都の迷走町家図鑑」早速、第2段を御報告します。

 まずはおさらいとして、角館町家の典型的特徴三ヶ条から。

1、切妻屋根
2、妻入り(ちなみに京都は平入り)
3、前面にとりつく片流れの下屋(冬場のアーケードになり「こもせ」という)

 では、この典型例で、前回紹介したものと違ったやつを下に示します。

jyunsui-machiya2.jpg

 これもかろうじて見つけた典型町家のうちのひとつです。しかもこれは空家ではなくバリバリの現役です。頼もしい限りです。

 さて、これでじゅうぶんおさらいできたので今回の本題に入りたいと思います。第2回目ということで、今回は応用編(?)です。

modern+machiyageya.jpg

 前回、モダン町家を紹介しましたが、上のものはコンクリートモダン部分の主張を限り無くおさえて、あたかも「単なる壁」のごときに振る舞っています。その下部には町家型のサイン、すなわち「木造真壁で切妻」な下屋をぺったり張り付けてます。これなら後ろのコンクリートに気付かず、平家の純粋な町家として、じゅうぶん、、、全然通用しません。すごく気付きます。後ろのコンクリート部分。

3ren-chyuomachiya.jpg

 さて、お次はこちら。おおっ!また典型的な町家発見か!「木造真壁の切妻に片流れの下屋」ばっちり。しかしその両側隣をよく見ると、、。実はこれ平入の3軒長家のまん中だけが当地の町家型になっているとっても奇妙な代物なんです。切妻が先か、平入の長家が先か、う〜ん。切妻三連長家は無理やしなあ、、。

chokkaku-kirizuma.jpg

 「平入の助けを借りるなんざ言語道断だぜ」的なやつが上。なんと短辺方向の切妻だけでなく、側面全面にも強引に切妻を張り付けてあり、しかも片流れの下屋までつくっちゃってます。直角両面切妻野郎!!恐るべしです。

koseimukidasi.jpg

 普通にいけば棟で折れ曲がり穏当な平入の家になるはずなのに、鋭角的、雪崩的に折れ曲がる真っ赤な鉄板がズドーン。真っ赤な鉄板!ああなんて情熱的、、。でもすごくかっこわるい。個性が全速力で空振りした感じ。でも
片流れの下屋がなんだか真面目で憎めない。

 sekizo-machiya.jpg

 同じ個性派でも、こいつはすごい。完全な石造建築で母屋を構成。
造形的な観点からいうと「切妻妻入」とは、建築個体の強さを正面性に託して表明するものです。逆に「切妻平入」は周囲との連続性と、それによる水平的な風景を目指すもの。妻入の出雲大社と平入の伊勢神宮を思い浮かべたら納得できると思います。その観点から見るとこの町家は妻入という正面性の強さを石造形で見事に表明しているといえます。石で忠実に木造の切妻型を模造しても意味ないですが、石ならではの造形で個性溢れる強い正面性を形成することは逆に当地の造形感覚にフィットするように思われます。本当にお見事!しかもちゃんと片流れの下屋もよい感じでついてるし。

 というわけで、第2段はここらへんでおしまいにしたいと思います。次回は早くも(早くないよ、いい加減おわってくれ!という怒声は無視して)最終回です。近々アップしますので、また御覧いただけたら幸いです。では、また。
posted by zukan at 18:51| Comment(3) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月01日

小京都の迷走町家図鑑01

 どうも御無沙汰しております。長い長い間、記事の更新のない時期が続きましたが、そろそろ再開です。だって、もうすぐ秋になっちゃいますし。

 久々の記事は、当然、京都のなにがしかの記事でいくのが定石だとは思いますが、夏休みの報告も兼ねて、遠いところのお話をひとつ。

 だいぶ前の記事にも書きましたが、僕にも深い縁のある秋田県角館町という小京都があります。その目玉商品ともいえる武家屋敷まわりはとっても綺麗なのですが、日常の住まいがある町人街(外町)はいまやボロボロです。かつては雪国の町家に相応しい明確な「型」をどの家も有していたわけですが、さて現在はというと、、、。

 というわけで、先日、僕が角館に探訪した際に、彼の地にたたずむ数々の町家(現役、元、偽装、変型、、、など含む)の写真を納めてまいりました。並べてみると、これが結構面白い。そこで、今回から数回にわたって北国の迷走する町家状況を紹介したいと思います。

seika.jpg

 まずは、典型的なやつ。これは昨年、僕が曵家+増築した親父の生家で、手前に見えるのが築100年の2階建て町家です。簡単にいうと角館町家の特徴は、
1、切妻屋根
2、妻入り(ちなみに京都は平入り)
3、前面にとりつく片流れの下屋(冬場のアーケードになり「こもせ」という)
の3つといえましょう。しかし、現在はこのような典型的な町家はほとんど残存しません。

jyunsui.jpg

 町中を歩きまわって、どうにか5軒くらい見つけた典型町家のうちのひとつがこれです。あって良かったぜ!!と、狂喜乱舞したいところですが、どうも空家くさく、その命も風前の灯っぽい雰囲気が濃厚。正直やばいです。

shinkenzai.jpg

 さて、最も目につくのは、上のようなタイプ。要するに町家の特徴3ヶ条は満たしているものの、外壁は真壁ではなくトタンをはったり、モルタルで固めたりしたもの。防火などでやむをえずこうなるのでしょうが、正直やぼったく、あんまり町家には見えません。

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 なら、いっそモダンで勝負!といったのが上のこちら。箱型金属版ばりでにぶい光沢が、素敵。でもどんだけモダンでも、片流れの下屋は忘れないこの郷土愛!ああ。

kaizo.jpg

 なんだかわからないけど、改造をくりかえしたら、こんなんなっちゃったのがこれ。商品と外装が絢爛豪華に家を盛りたてます。個人的には結構好き。

 と、まずはさわりはこんなところで。まだまだ、いろんな種類ありますが、すこしずつ紹介したいと思います。「えぇ-まだひっぱるんかい」という怒声が響き渡るのがこちらまで届きそうなのではありますが、懲りずにおつきあい願えたら幸いです。京都の記事も復活させますんで。
posted by zukan at 14:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

断面事前調査。

 4月29日に行われる京都断面調査「東山表裏捻転攻」を前にして、運営委員5名でコースを事前調査しました。(京都断面調査の詳しい内容は「京都CDL」ホームページをご覧ください。)私、恥ずかしながら集合場所に迷ってしまい、集合場所に着く前に一度峠を越えてしまいました。迷うほど難しい道では全く無いのですが、参加者の方が迷わないよう誘導しようと勝手に決意した朝でした。
 雨女ともっぱらの噂のmittanのせいでシトシトと降る雨の中、調査開始。予定しているコースを実際歩き、発見した事をスケッチや図にして検討していきました。写真にあるようなおもしろ住宅が山際に潜んでいるので、気になる方は断面調査で実際に歩いて見つけてみてください。他にもいろんな発見があると思います。
 10月にブログで書いたzukanさんとの初とうげ越えから早いものでもう半年。あの時は「廃・神社」の異様なまでの恐ろしさに山科にダークなイメージを持っていましたが。時が過ぎたからか、今回の事前調査で山科に愛着を持ってしまったようです。

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posted by mittan at 00:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

地区ビデオのロケ帰りに。

半日ぐらいビデオ片手にうろついていた私は疲労をかかえつつ家に帰ろうと自転車をこいでいた。もう、あと少しで家に着くところでふと細い道があることに気付いた私は疲れていながらもその道に吸い込まれていった。
強烈な家が息を潜めてそこにあった。いままで普通の町だと思っていたいたのは大きな間違いで…、実際裏にとんでもないものが隠れていることがあるんだと気付かされた。あっ、この感じが地区ビデオに出来たらと思ったときにはもうカメラの充電が切れており…断念せざるをえない結果に。しかし、デジカメで撮ったこの写真を出す事でいろんな人に見てもらえれば少しうれしいかも。興味がある方は直接私に聞いてください。見た目も強烈ですが臭いの方が強烈です。ごみっぽい様な、家畜っぽい様な…、私は長時間そこにいるのは無理ですね。
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posted by mittan at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月08日

ヒントでピンと、粟田学区

 先日、「京都地区型住宅即日設計競技-ミテキテツクッテ-」の下ごしらえのため、提案対象地である粟田学区(→地図)に事前調査に行った。

 主な目的は当日の調査ルート確認と、当日配布する資料に記載する地区型住宅設計の「ヒント」の発見である。

「ヒント」は@地形A道・空き地B住宅の3種類を設定し、学区内で設定した3つの小地区内でそれぞれ見つけ出す。

 いきなり「ヒント」と言われてもピンと来ないかもしれない。ひとつの捉え方としては「ヒント」とは、その地区にしか見られないような特徴のことである。例えば@地形なら、地区内の等高線だとか小河川だとか・・・。
 とはいえ、1つの項目だけ取り上げても都市のなかには似た様な状況が至るところにある。
そこで、それぞれの項目に対してあまり掘り下げたヒントが見つからなくても、@ABで発見したヒントを組み合わせて構造化すれば、「オンリーワン」な地区や地区型住居が見えてくる筈である。

 実際見つけてきたヒントのうち住宅に関していくらか感想を述べると、地区内での住まい方はやはり@地形とA道・空き地(そのうち特に計画された道路)から受ける制約が大きい。
 降りしきる雨のなか、「巨大で複雑な都市構造に対して個人が抗う術はないのか・・・」と少しセンチメンタルな気分になりかけたが、それぞれの地区内には窮屈そうだけど上手く「集まって」住んでいる例が見られた。
 例えば山の斜面を背にし、平屋が密集する路地裏では、ほとんどのところで、「路地の入り口を示すゲート→祠(ほこら)→稲荷神社」と奥に向かって階層性がみられた。
 また、街区内を小河川が貫通する地区では、河川に対して「背」を向けつつも、上手く河川の蛇行にフィットして観光客にも「大うけ」な何とも絶妙な風景を作り出している住宅群が見られた。

 とまあ、一度行ったことのある場所なので、さして期待もせずに行った調査だったが、「ミテキタ」ものと地図を照らし合わせるとこれまでちっとも解釈できていなかったことに気がついた。次は設計による「解釈→創造」。これが中々悩ましいのだが・・・。

jutaku.jpg
地区ごとに見られるさまざまな住宅たち。外観しか見えないが、
中でどうやって住んでいるのか想像してみるのも面白い。




inari.jpg
ある路地の奥の稲荷神社ではこの日秋の祭礼が行われていた。
決して火事ではない。




posted by m_m at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月31日

初とうげ越え。

zukanさんと山の追加調査に行ってきたmittamです。私は生まれて20年京都に住んでいながらあまり山科に訪れた記憶も無く、まして峠を越えて山科に行ってみようなんて思いもしなかったわけで・・・。初めての東山峠越えは、とても強烈でした。住宅の一角を一回りするだけで冒険が出来てしまう不思議住宅に出会ったり、私にとって新しい発見で楽しく歩けました。あの場所に出会うまでは・・・。

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ふと見つけて、zukanさんに「鳥居ありますよ!」と言ったのが恐怖の始まり。後でよく見ると鳥居についている看板が外れていたんですね。そう、zukanさんの書いている「廃・神社」だったのです。霊気か冷気かわからないような寒気のするその場所は凄まじい光景でした。暗くてよく見えないところが余計に恐い・・・。傘にしがみつき、写真など撮れる場合ではありませんでした。ちょっとアレは上級者過ぎです。東山へ戻る街道を歩いているときもぶり返してくる恐怖。高台からみえる京都盆地と京都タワーにホッとする自分。京都タワーが愛しく思えたのははじめてかもしれません。
峠越えを終え、変な度胸とビビリ症を身につけてしまったような気が。私の中で東山と山科がつながって強烈にインプットされました。

奥に京都タワー.jpg

posted by mittan at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東山峠越えに、5年の月日を想う。

 先日10月29日、「げのむ6号」特集の「みやこきわめぐり、地形編=山」(仮題)の追調査を行った。朝からあいにくの雨。ただでさえ薄ら暗い東山峠道は究極のどんよりさで僕らを迎えてくれた。

同行したmittanさん(以降敬称略)は、始めての東山越えということだったが、僕は物好きにも大学博士時代にこの地を調査地区としており、馴染みの地区であった。しかしながら大学を去ってからは訪れることも少なくなり、今回は5年振りの来訪となった。

 峠付近にさまざまな「お気に入り」の場所を知っていた僕は、峠初体験のmittanに先輩ぶっていろんな「お気に入り」(とはいえ、大概が気味悪い廃屋とかなのだが)を披露しようと秘かに張り切っていたのだが、、、

 峠付近で「お気に入り」を探すも見つからず。最初は「まあ、ひとつくらいなくなってるのは仕方ない」とある程度ゆとりを持っていたのだが、次ぎ、また次ぎと「お気に入り」は姿を
消していた。「前は本当にあったんやけどなあ。」と「単なるモウロク」にしか映らない間抜けっぷりを、たっぷりmittanに披露する羽目に。崖に面して建っていた2階建て木造六角地蔵堂(崖上の2階と、崖下の1階部分をそれぞれ別ルートで参拝できた)が単なるコンクリート擁壁に変化して消失していたのには、正直、こたえた。

 消失してしまった彼らを見つけて、「お気に入り」にしていたときは5年前。そもそも自分だけの「お気に入り」なんてのは、感傷と、フェティシズムと、おそらくは幼少期のトラウマを絶妙にブレンドした結果、目の前の物象に過度に感情移入してしまったものなのである。だから見つけた後も、しばらくは恥ずかしくて人に紹介できないし、写真に残すのさえ躊躇してしまうのだ。少なくとも僕の場合は。

 しかし、亡くなって始めて気がつくのだ。僕の感傷なんかと元来関係なく、彼らは在って、しかも彼らが生まれ姿を消していくのは大きな「都市の事件」なんだと。僕のしょぼい感傷のせいで「彼らが在ったこと」を記録しなかったことは、最大級の罪であった。都市の観察者として。一概には言えないであろうが、5年という時間はちょうどそんなことに気付き、しかも彼らが姿を消すからこそ気付いてしまう周期なのではなかろうか。

 今回の探訪中、偶然、震え上がって死んでしまいそうなくらい気味の悪い「廃・神社」に出会った。廃虚はよく見かけるが、「廃・神社」なんてのは初めてである。人目につかない谷の中で、無数の人の欲求、願望、怨念が渦巻くのが肌から冷気とともに感受できるような、そんな場所だ。峠はじめてのmittanだけでなくそれなりに熟練の僕にとっても耐えようのない恐怖に襲われた。この場所もまた、否応なく脳内の「お気に入り」にエントリーしそうであったが、、、。その時、ふと、この地の5年後を想った。断言できるはずもないが、おそらく彼でさえも5年後、此所にとどまることはできないであろう。再訪した僕はまた記録しえなかった僕を呪うのだろう。

 というわけで、恐怖をふりはらい、この地を記録する覚悟をした。後日また記録結果を報告するかもしれない。

 5年振りの峠で姿を消した彼らを目の当たりにして、今度の5年後には少し違った想いで、この峠に足を運びたいと感じた、そんな33歳の秋。


 
posted by zukan at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月23日

突入・東一口(ひがしいもあらい)

 「げのむ6号」の連載記事「通りゃせん」の調査取材で、久御山町にある東一口(ひがしいもあらい)という元・漁業集落に行った。

東一口は昭和7年の巨椋池干拓以前は全戸の9割以上が淡水漁業で生活を営んでおり、現在は東・西の9集落にわかれ、戸数198戸・人口約800人の東西に細 長く家並みがつづく堤防集落である。干拓後は農村に転換したが、街村状の集落構造には漁村時代の面影が残る。後鳥羽上皇の時代に巨椋池の漁業権を与えられ、干拓以前は池周辺の漁村の元締め的存在だったそうな。
  インタビューでは祭りのしきたり、名産品の聖護院大根、昭和28年の伊勢湾台風による巨椋池復活の様子などが聞けた。ちなみに阪神の片岡選手はこの村の出身だそうな。
 村名の由来は「忌み洗い(いみあらい)」が転訛して「芋洗い(いもあらい)」となったが、集落の立地条件(入り口が一つ)から「一口」という字が当てられたらしい。うーむ土地に歴史あり。

結合.jpg
posted by cdl at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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