2007年04月17日

ちくじゅう。

おひさしぶりです。本日はお知らせです。

 京都地区型住宅研究会「ちくじゅう」の公式ブログ「ちくじゅうブログ。」を開設いたしました。

「ちくじゅうブログ。」
http://chikuju.seesaa.net/

 「ちくじゅう」って何?って感じかもしれませんね。京都CDLの2004年からの主要活動に「ミテキテツクッテ」というものがあります。

(05年の粟田学区編を御参照ください)
 http://www.kyoto-cdl.com/works/m02/m02_setsumei.html

 毎年、京都からあるひとつの学区を選んで、そこを歩いて、見て、その地区ならではの住まい方のヒントを見つけだして、それをもとに新たな住宅の在り方を提案するというものです。

 この活動をより深めようと、2005年から自主ゼミ的に「京都地区型住宅研究会」を始めました。これは「ミテキテツクッテ」を月に一度するような活動で、つくったその日に、相互批評も行い、その後、さらに各自の案を改善させていくといったものです。

 「げのむ7号」の特集では、このユニークな設計法と、それによって出現する新しい風景を紹介します。ですので、それがより活発になっていくよう、立ち上げたのが、今回の「ちくじゅうブログ」なのです。

 今後陸続と、研究員からの報告があると思いますので、まずはのぞいてみてください。乞う御期待です。
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2007年02月04日

CDL事務局、近々移転します。

 みなさま。たいへん御無沙汰しております。

さて、いきなりなのですが、京都CDLの事務局は近々移転になります。2年間拠点とした若杉荘から、三条市営団地内の一室へ移ることになります。その経緯に関しては、若杉荘拠点管理人さんの以下のブログ記事を参照してください。

「三条まちづくり活動日記01」
http://dkenhokoku.seesaa.net/article/32806647.html


 都市に関する実験的な取り組みを学生ならではの視点で展開してきたのが京都CDLの従来の活動でしたが、今後はその活動も継承しながら、まちそのものに密着した活動へと深化していこうと考えております。

 おそらく、その際にもこれまでの活動で得たものが活きてくるんだと信じています。まずはお知らせまでです。

 今後とも、よろしくお願いいたします。

実は京都CDL運営委員長のzukanより。

 
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2006年10月11日

「ミテキテツクッテ06」開催の御案内

mitekite06-2.jpg

 お待たせしました。今年度の「京都地区型住宅即日設計競技 ミテキテツクッテ」開催の御案内です。

 今年は11月18日+19日に開催します。対象地区は稲荷学区です。

18日が稲荷学区町歩きと、稲荷学区型住宅の制作ワークショップです。
19日は前日に制作された稲荷学区型住宅作品展示と、公開審査を行います。会場は「ひとまち交流館京都」です。詳細は京都CDLホームページにて御案内しますのでそちらを御覧ください。

 今回は「ミテキテツクッテ」の企画主旨などについて書き記したいと思います。

「都市型住居」という言葉があります。例えば、町家は京都を代表する都市型住居です。では京都の住まいは全て町家をモデルにしたらよいのでしょうか?

 京都には、さまざまな特徴を備えた地区があります。そして、ある地区には、その地区にふさわしい、その地区ならではの魅力的な住まい方があるはずです。ここではそのような、「地区にふさわしい住居」を都市型住居ならぬ「地区型住居」と銘々しています。

 「ミテキテツクッテ」では、京都にあるさまざまな地区から、ある地区を選定し、その地区を実際に歩き、見ることで、その地区に潜む、魅力的な住まいのヒント(=「地区ヒント」)を探し出し、そのヒントをもとにその地区にふさわしいユニークな「地区型住居」を設計、提案することが目的なのです。

 ここで気になるのが「地区ヒント」なる言葉です。これはいったい何なのでしょうか?

 集落調査で、民家に共通の屋根形状や開口の付け方などを、デザインコードとして収集し、それを採用することをデザインルールとしながら、その集落にふさわしい住宅を提示するという方法をよく見かけます。

 しかしながら、きわめて妥当と思われるこの方法によってできあがる住宅が、何故か民家の「抜け殻」にしか見えないということが多々あります。

 これは民家の表面的な「かたち」収集に終始した結果、そこの生活を規制し決定づけるような本質的な「かたち」を捕まえることができなかったことが原因なのではないかと思われます。

 例えば、敷地境界線を共有する3軒の隣り合った家があったとします。しかしこの3軒の間を走る小さな断層と、街路体系の在り方のせいで、互いの家を行き来するのに数百メートルも迂回せねばならないという事態(この事態を「知り得ないお隣さん」と銘々します)があったとしましょう。この事態は
それぞれの屋根形状や開口のつき方なんかとは、比べ物にならないほどに、これらの家での生活の在り方に、良くも悪くも規制や影響を与えています。

 「ミテキテツクッテ」では、こんな生活の在り方を大きく規制する地区の「かたち」を、地形や街路の在り方、家の配列などから抽出し、それを「地区ヒント」とします。そしてこれをもとに地区型住宅を構想していくのです。

 このような「地区ヒント」をもとに形成される家は、ぱっと見たところは、そこに馴染んでいないように見受けられるものも提示されます。けれどもそこにあることで意味を発生させ、逆にいうとそこになければ意味をなさないような不思議な家となっていきます。

 また、このヒントからは、予定調和的な家の「かたち」は誘導されませんし、「なんとなくこんな家が馴染むんじゃないかな」的な恣意的な形態決定も拒まれます。その地区から誘導されたにもかかわらず、予期せぬような「かたち」を持つ家。そしてその家があることで地区の生活風景がとっても魅力的になるような家。

 「地区ヒント」とは当企画の大事な大事なキーワードなのです。

 長くなってしまったので、ひとまずここまでとしておきます。興味をもたれたみなさん、是非是非御参加ください。地区から生まれたのに、地区を予期せぬような「かたち」で魅力的にする家、そんな家を一緒に町を歩きながら構想できたらと願っております。



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2006年09月20日

講演会の感想、7号編集始まる

こんにちは、Qさんに代わって7号の編集長をやらせていただくことになったm_mでございます。
先日の土曜、大阪にて行われた『関西の三奇人 ふたたび 安藤忠雄×毛綱モン太(遺影)×渡辺豊和』(ホスト:高口恭行長老、於:一心寺日想殿)という講演会が行われ、その場を借りて京都げのむの販売を行わせていただきました。講演会の第二部では運営委員長が15分ほど京都CDLの活動紹介を行いました。会場には300名以上の観客が集まり、熱気溢れる、慌しい雰囲気の中で会は進行したましたが、「げのむ」を1号から6号まで買い占めていって下さるお客さんも数人いて、新たな「京都げのむファン」を獲得できたのではないでしょうか。このような広報&販促活動の場を設けていただいた主催者の方々には本当に感謝です。

この講演会はそもそも『文象先生のころ 毛綱モンちゃんのころ—山口文象 毛綱モン太 覚え書』(著者 渡辺豊和 、編集出版組織体アセテート 2006年8月)という本の出版記念企画だったらしく、本の内容と併せ、講演会の内容も興味深いものだった。
ル・コルビュジエ〜前川國男〜丹下健三(〜磯崎新)という師弟関係は日本における近代建築の系譜として常識だが、W.グロピウス〜山口文象〜渡辺豊和(とその盟友・毛綱モン太)という系譜を知る人は意外と少ない。そういった知られざる関西の建築運動を掘り起こし、日本のモダニズムとは何だったのか、東京中心で展開されてきた近代建築の価値感を相対化することがこの本の主題と受け止めていいだろう。


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yosisaka.jpg

講演会の中で特に印象に残ったのは、講演者の渡辺豊和氏が紹介し、日本近代建築の最高傑作と評した山口文象(RIA)の作品、「新制作座文化センター」(八王子、1963)(写真右)だった。傾斜地に建つ劇団のための施設で、雁行する宿舎、傾斜面を利用した自然的な階段、壁面を大きく取り開口部が少ない建物など、日本の伝統的な集落や土蔵を思わせる全体構成で、上記の本のなかで渡辺氏はこれを「近代主義の土俗・ヴァナキュラー化」と呼んでいる。私は不覚にもこの建築を全く知らなかったし、一般的にもあまり有名でないと思う。そもそも、RIAの作品評で「土俗」という言葉が出てくるのは意外だった。RIAの作品で一番有名なのは間違いなく「黒部川第二発電所・ダム(1938)」で、山口文象と言えば生粋の機能主義の建築家というイメージが強かったからだ。また、集落的な構成の施設と言えば、同じ八王子にある吉阪隆正(+U研究室)による大学セミナーハウス(写真左)のほうが有名なのではないだろうか(こちらも傾斜地に建ち、中心となる交流施設を弧状に宿舎ユニット群が取り巻く構成である)。
このRIAの作品の面白いところは、コンセプトとしての「集落」はあくまでRIA的な形態ヴォキャブラリー(プロポーション、開口の取り方、ディティール)により表現され、「土俗性」は極度に抽象化されて機能を帯びているところだろう。そのため一見してこの建築を「集落的」と感じるひとは少ないのではないだろうか。建築に求められるのは「土俗性か近代性か」、言い換えれば「地域性か普遍性か」「多様性か純粋性か」という、ややもすると二項対立的とも受け止められる問いに対する答えがここにあるのかもしれない、と思った。

かなり長くなってしまったが、つい先日編集がスタートした「げのむ」7号の特集テーマは「地区型住宅構想2007(仮)」である。かつて京都大学の西山卯三氏は機能主義に偏向した丹下健三の東京計画1960批判として、具体的な空間イメージを伴ったマニフェストとしての「構想力」なる職能の必要性を説いた。21世紀の現在、そんなものが求められるのかどうか不明だが、建築界を取り巻く状況に聞こえのいいだけの言葉によるマニフェストが蔓延してはいないだろうか。「地区」や「住宅」という都市と建築の最小単位を通して、京都という都市に具体的な空間イメージを「構想」すること。7号は終わりではなく、そのささやかな第一歩としたい。








posted by cdl at 19:29| Comment(1) | TrackBack(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

地区ビデオ06作品募集始まります。

tikuvideo062.jpg

 こんにちは。ようやく天候も秋らしくなってきました。空の色や朝夕の涼やかさが、それを伝えてくれてます。

 さて、秋といえばCDL企画の超本番な季節です。今回は、そんな企画のうち、せっかく秋のお話をしたのにもかかわらず、12月9日に開催される京都地区ビデオコンテストの作品募集開始のお知らせをいたします。

 そう、開催は真冬ではありますが、この時期からの作品募集告知ですので、結局作品は秋の地区風景が、さまざまに展開されるものとなるのです。

 さて、今年度のテーマですが「京都遊歩者2006-見慣れたまちを見知らぬように-」です。あれっ?昨年と違うのは「2006」ってついただけじゃないですか?ひょっとして単なる手抜き?

 断じて違います。昨年も書き記しましたが、このテーマは、W.ベンヤミンが「都市の遊歩者」のなかで「見知らぬ町を見慣れた町のように見る。見慣れた町を見知らぬ町のように見る」と書き綴ったことにヒントを得たもので、このような都市に向けた視線の在り方の普遍性と、その可能性に期待したものです。

 そして、昨年このテーマのもと、たいへん魅力ある地区風景のあぶり出しが提示されこれまでの地区ビデオ以上に大きな手ごたえを得ました。それと同時に、このテーマは地区ビデオが常に目指すべきものであり、かつもっともっと突き詰めて深めていくべきテーマだと痛感もしました。

 実際、着眼はよいのにそこから迫ってくるものの描写までは至らなかったり、不馴れから描写そのものが稚拙であったり、、、などなど、惜しい作品が非常に多かったのです。

 というわけで、敢えて今回も同じテーマで出題としたわけです。

 僕も密かに(?)昨年までで5つのビデオを作成していますが、なかなか思うところまで到達できません。ここ数年はあまり見られなくなった「ストーリーもの」の地区ビデオをずっと個人的なテーマにしてやっているのですがこれが難しい。「ストーリーもの」が地区ビデオとなるには、役者たちが形成する物語りが、前面で繰り広げられ、あたかもそれが主のように見えているのに、実は背景にある風景こそが迫ってくる必要があります。物語りが空疎すぎると、その意図がすぐにばれてしまい、ビデオとして魅力がなくなります。かといって物語りに重きをおきすぎると、風景は単なる背景のままです。簡単そうでなかなかに悩ましいのです。

 これは「ストーリーもの」のお話ですが、「風景描写」ビデオでも、いろいろな難しさがあります。単なる撮影だと見慣れたものが見慣れたままだし、変に編集技法に凝ると、ビデオ技術の展覧みたいになって結局、何も迫らないし。

 とういわけで、今回6回目を迎える地区ビデオなのですが、なかなか「これだ!!」というものを作れないし、出会えません。ただ、ひとつ言えることは地区の「ロケ」に力を注ぎ込むことが絶対的に必要不可欠であることは間違いありません。編集する前に、いかに風景と対峙するか。これこそがどのジャンルであっても地区ビデオが成立する原点となるのは間違いないでしょう。

 正式な告知は、もうすぐホームページ最新情報でアップされます。いろいろ制作に関しての難しさはありますが、とにかく楽しいこの企画、作っても見ても本当に面白いのです。みなさん、是非是非、応募してください。お待ちしております。

posted by zukan at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

京都CDL@「けんちくの手帖」の巻

先日、大阪は中崎町のカフェ「Common Cafe」 にて、あるイベントが開かれた。京都CDLの活動と京都げのむの面白さを世のひとたちに知ってもらうおうというものである。というのも、このお店では「けんちくの手帖」という、建築関係の自費出版本を紹介する企画が定期的に開催されており、今回は「京都げのむ」を取り上げて頂いたからである。

イベントが始まる午後八時ごろには、地下のお洒落なカフェはほぼ満席で、立ち見の人もいたような。。。みんなわいわいとドリンクを飲みながら、壇上の渡辺運営委員長と柳沢編集委員長の二人による発表が始まった。

パワポを使って、まずは京都CDLの活動理念、活動体制の説明から始まり、次に京都げのむの編集方針や記事の内容を紹介していくという具合にプレゼンは進む。今までとは少し違った角度で京都の問題や面白さを考える(「京都を疑う」)、あわよくば後世まで引き継がれるような希少なデータベース(銭湯、商店街、便所、川など)を作る(「資料性」)といった試みが、フィールドワークに基づき実践されているということが皆さんによく伝わっていたように思う。

とまあ発表の前半30〜40分は、今明かされる京都CDLの本質について、発表者もそれを聞いてる皆さんもわりと真剣な面持ち。でも後半は「げのむ」の中でもわりとくだけた感じの記事である「通りゃせん(旧称「通りゃんせ」)」や「京都黒穴」、「京都私的探求」なども交えて紹介していくうちに、会場には笑いが起こり、和やかなムードになっていく。

約1時間の発表が終わり、トークセッション前の休憩が始まると、若杉荘から持ってきた「げのむ」(1〜5号、各10冊ぐらい)は瞬く間に完売。京都CDLと「げのむ」の面白さを分かってもらえ、げのむ編集に携わるものとして、すごく嬉しかった。げのむやっててよかった!、と素直に思った夜なのだった。

(その後もトークセッション、フリートークと続き、Common Cafeの夜は更けていくのであった。「けんちくの手帖」のスタッフのみなさん、お疲れさまでした!)
posted by m_m at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月21日

めびうすのコツ。山科西山

 さて、あと1週間もすれば「東山表裏捻転攻」(ひがしやまめびうすたんけん)が開催されるが、今回は本番に先立って、この「たんけん」の視点のひとつを提示してみたいと思う。

 「山科西山」という言葉を御存知だろうか?山科はわかるが、その西山って、、。答えは簡単。山科盆地の西にある連続丘陵のこと。すなわち京都東山のことである。

 京都東山といえば、山麓に清水寺や知恩院、八坂神社に円山公園など、超メジャーな観光名所が目白押しな、あの東山である。その山を東に越えたところに広がるのが山科盆地。そう山科盆地からみたら京都東山は西山となるのである。

 当たり前と言えば、当たり前だが案外気付かない視点だ。僕の知人に山科出身の人がいて、彼はいたく山科を愛している。その彼が僕に「東山って、ああ西山のことやろ」といったことで僕の目からウロコが73枚くらい落ちたのであった。

 そこで改めてイメージしてみた。山科盆地に居を構える。その彼等にとっては日が沈んでいく山こそが「京都東山」な訳である。日が落ちかけ刹那盆地は夕焼けに染まり、ゆっくりと闇に沈んでいく、、そんな風景を象徴する山なのだ。僕らが普段描いているイメージとは全くもって違うことがわかるであろう。思い出すのは「日の昇るところの天子が、日の没するところの天子に、、」のあのフレーズ。

 今回は山科盆地にまず入り、「山科西山」山麓を歩きその後峠を越えて、「京都東山」を歩くわけであり、その空間的捻れを「めびうすたんけん」と呼んでいる。ただ、誤解して欲しくないことがひとつある。それは京都が「オモテ」で山科が「ウラ」だと決めてかかっているわけではないということ。「ウラ」と思っていたのに空間が捻れて「オモテ」になった、あるいは「オモテ」がいつの間にか「ウラ」に転じた、、。この捻れ転じることこそが重要なのであって、だからこそ「めびうす」なのだ。

 今度の断面調査では、山科入りしてるときは山科ならではの「自律した魅力」を捜し出せたらと思っている。「山科の一番の問題は、山科を中心に据えて、そこから発信していくという可能性を、今の山科区民自体が信じることができないことなのだ」という胸に響く言葉を恩師から聞いたことがある。その言葉の一方で、山科に誇りを持つ知人の顔が重なる。

 あれほど魅力ある地形(=小盆地)を僕はあまり知らない。そしてかつてはいろいろなものを発信してきた土地なのだ。今は奈良にある興福寺の原型が山科にあったのを初めとして、、。

 山科発の魅力の在り処を嗅ぎ付けて存分に堪能して、捻れながら京都にはいれたらと思っている。そんな視点をみなさんに、、ひとつ。

 
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2005年12月04日

これはいい!「ミテキテ」作品集

これを読んでしまった、みなさん。

 京都CDLのホームページ、「成果物」のところを、カチッとクリックしてみてください。先日開催された「ミテキテツクッテ」全作品が紹介されています。

 作品が粟田学区のどの場所に配置されたかも一目瞭然。これはいいです。

 改めて作品を見直してみると、その時だけでは気付きえなかった、作品の秘められた可能性も、じわじわと迫ってきます。

 これらの種がいつか花咲く日が来たらと、わくわくしてしまいます。一度カチッとクリックしてみてください。
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2005年11月01日

「どうでもいい風景」と地区ビデオ

 来る12月10日に、京都CDL地区ビデオコンテストが開催される。今年でもう5回を数える。

 京都CDLが発足したのは2001年。その初年度半ばに、調査という分析的な形式だけではなく、直感的に風景を感受し、それをいきいきと描写することも必要なのではないかと思って編み出されたのが、地区ビデオコンテストなのだ。

 映像作品のジャンルは何でもありで、それこそラブストーリーなどのドラマ仕立てでもオッケイなのである。ただ、その場合、登場する人物は時間をすすめる媒体の役目を果たすだけで、本当の主役はあくまで地区の風景でなくてはならない、というのが、ポイントであった。

 しかしながら、なかなかにこの主旨が伝わらない。「プチシネマ」という麻薬にさまざまな位相で取り憑かれてしまうのだ。「役者業」にハマる。「監督業」に浸る。ビデオ編集テクニックをみがきまくる、、、などなど。また「劇的な」ロケ地にこだわりすぎて、結局お昼のドラマか、日曜朝の戦隊ヒーロー特撮ものの背景ビデオみたいになっちゃったり。

 しかし、撮影側の気分はすごくよくわかる。要するに朝おきて、窓を開けたらそこにあるような「どうでもよい風景」なんか撮りたくないのだ。しかし、この「どうでもよい風景」こそに地区ビデオの鍵があるのではないだろうか。たとえば、「どうでもよい住宅」もよく見ると戦慄が走る。これだけ滅茶苦茶バラエティに富んだ住宅がひしめきあっているこの風景。昆虫収集家が住宅収集にもし目覚めたならウハウハな状況である。どの国にも増して見事な住宅標本が完成するだろう。こんな「特殊な風景」が、普段「どうでもよい」「普通な」風景に映るのだ。「どうでもよい風景」に一度騙されたと思って向き合うと、とんでもない発見がそこに潜んでいるかもしれない。

 今年のコンテストのテーマは「京都遊歩者 見慣れたまちを、見知らぬように」である。「どうでもよいもの」たちが魑魅魍魎と化して跋扈する風景が見られるかもしれない。

 作品はまだ募集中。〆きりは12月1日である。

doudemoyoi.jpg
posted by zukan at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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