2006年12月16日

地区ビデオコンテスト

 地区ビデオコンテストの内容はzukanさんがとても詳しく書いておられますので、私は準備での個人的な想いを書きたいと思います。

 地区ビデオコンテストの前日準備のために若杉荘へ行ったとき、気が重くなってしまいました・・・。
それは上映会場となる部屋の中のモノたち。普段、編集会議に使われる部屋には巨大な机、椅子、パソコン、プリンタ、資料、その他沢山のものがぎっしりで、「ちょっと無理じゃないですか!?」と思ってしまうくらいだったんです。処分できるものは処分して、他の部屋に移動させたり、庭に机を積んだりと片付けをして9日の状態になりました。

それから1階と2階の同時上映、プラス双方向通信が可能になりました。
 去年は1階のビデオカメラから2階にも1階の様子が映像で見える。けれど逆の2階の様子は分からず…。通信は電話の親機と子機で声のみという不思議な環境でした。電話で司会の人が「もしもし。」と話すのが面白くて味があってよかったですけれど(笑)1階で見ていたある人は「2階からの電話が天の声のようだった」と言ってました。
 参加されていた方はよく分かってもらえると思いますが今年は1階と2階両方にカメラが設置され、反対の部屋の様子がスクリーンに映しだすことになったんです。でも準備段階での双方向通信は、部屋に人が一人だったせいでテレビ電話というより覗き見しているような…、不思議と不気味が隣り合わせでした。でも、当日たくさんの方が来られたおかげでその問題は解決しました。双方向通信はいかがでしたか?

当の地区ビデオコンテストはいろんな視点の作品で見ていてとてもわくわくしました。寸評でのビデオ撮影時にはカメラが変なモードに切り替わって映像が映らなくなって…、アタフタしてしまい不慣れで申し訳ないです。そんなことはおいて、個人的な問題でドタバタしていましたが、最後の地区ビデオコンテストに自分も作品を出してかつ参加できてよかったなとおもいます。(作ろうかどうか、結構グダグダしていたので…。)作ったものに反省点などいろいろありますけれど、それが見えたのも作ったおかげで、映像として見るだけじゃなくて、いろんな人の作品を見て感じ取ったものが自分にとってとても力になりました。よい地区ビデオコンテストでした。
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2006年12月11日

地区ビデオコンテストにおもうこと。

 去る2006年12月9日に、第6回地区ビデオコンテストが開催、盛会のうちに無事閉幕した。

 地区ビデオコンテスト、実はこれ、CDL発足時から活動として組み込まれてた企画ではなかったものだ。CDLでは、まちを調査して記録して、それをもとに何らかの提案をして、パネル化したものを材料にメンバーが競いあうというのが、基本活動であり、それゆえ、とかく初年度は調査調査したノリで、正直いうとしんどかった(それをみなに強要するのも含めて)。そして事実しんどい空気が蔓延しつつあったのだ。

 「こりゃいかん」って思い、何となく、こんな発言をした。「パネル面倒くさいから、僕はビデオでもとろっかな」この発言、思わぬ反響を呼んだ。「ビデオいいねぇー」と立命館のH田さん。「僕ら、本当にとりますよ」と市立芸術大学のF井くん。おっ、こんなにノリノリなのは運営会議史上初めて!ということでコンテスト開催になったのだ。僕がビデオとか作るの好きなのも勿論あったけど。そしていざ大会開催すると、とてもとても面白く、わくわくできる表現領野であることがわかったのだ。都市風景描写や記録する意味においても。

 さて、出だしはよかったのだが、このあと全く順調でなかった。以前にも書いたが、映像をみんなで見る楽しみが、内輪うけ(しかしない)の映像制作のみに傾斜したり、風景描写を全く忘れて徒にパソコン編集にコリコリになっちゃったり。あげくに企画のメジャー化(最初は「あなぐら」みたいなところでひっそり開催していた地下企画だったのだ)にともない、変に「まちづくり」を意識した優等生的(小学校の道徳の時間みたい!)作品が、どんどん生産されたり、、、、。ここらへんのくだりは「京都げのむ」1号〜6号まで通読してもらえるとほんと、よくわかります。

 そして、紆余曲折を経て、ようやく昨年の第5回目にしておぼろげながら、地区ビデオの本質みたいなものが見えはじめ、今回に至ったのであった。結局、風景の発見性とは「見慣れたまちを、見知らぬようにみる、見知らぬまちを、見慣れたようにみる」という視点から獲得できるものなのではないか?この思いが、「見慣れたまちを見知らぬように」という昨年の大会のテーマを決定させた、しかも今年もそれを継続させた理由なのであった。

 さて、今年度である。今年は12本の作品が集まり、内容も昨年よりもバラエティに富むものであった。ただ、それらの作品群のお話をする前に、今回の大会で特筆すべきことは、初めてプロの映像作家、唐津正樹さんに作品を見ていただけたこと、そしてそのプロの作品をナマで見ることができたことであった(唐津さん、本当にありがとうございました)。

 プロの作品は、当たり前だが、僕たち素人のそれとはまるで違っていた。
技術と思いが一体化してなおかつ飛躍できるのがプロなんだと感じいってしまった。その作品「喧噪のあと」では、日常と非日常的事象が絶妙な絡みあいを見せながら淡々と時間は進み、ほんの一時、暗喩的にモヒカン山が映る。しかしモヒカン山が暗喩するものは隠されたままであり、にもかかわらず(そのせいかもしれないが)モヒカン山とその背後にある何ものかが僕の脳随を侵食してくるのだ!そしていつしか物語りは終わっていくのである。

 風景描写とは風景を主に撮れば、描写されるものではないことを知ったし、風景をたとえ撮り続けてたにしてもその表層を超えるものがある瞬間に跳躍して迫ってくるものでなければならないんだと痛感した。

 さて、僕個人はというと、物語と背景に映る風景のズレが、もうひとつの風景を生み出してはくれないかと思い制作した。それはある程度までは達成できたけど、その二つの間のズレのさらに向こうに、もっと遠くにある世界の風景物語が密かに展開できるような、そんなものにはならなかった。「多重なる世界」を描き出せるには、いろんな意味で力不足だった。

 会が終わり懇親会で、それぞれに達成できたこととできなかったことを語り続け、その後さらに戦い済んだ、上映会場:若杉荘で、運営委員メンバーが再度、当日集まった作品や、過去の作品を何度も何度も見ては、今からこそが戦いみたいなテンションで互いの作品や自身の作品のこと、そして今後撮りたいものなどを朝まで語り明かした(なんて、あつくて、コイ会であったことか)。

 僕たちは、全然プロではない。そんな僕たちができることは、まず何よりも撮る対象に、しつこく、しぶとく迫ることだ、、、ってのが僕の持論なんだけど、その僕自身がこれを十全に果たしているとはいいがたい。そしてこの持論は単なる持論でなくおそらくみんなにとっても絶対必要なことなんじゃないかと思っている。じゅうぶんに風景を描写できなかったことのくやしさは、編集の稚拙のくやしさではなく、場所との向き合いの中途半端さに起因するんだ、と思う。

 あの夜の「あつさ」を忘れないためにも今度こそ、ビデオリベンジ大会実施しよう。昨年結局せぇへんかったやんけという猛烈な反省もあるし。みんなもう、臨戦体制だよね?っということでCDL忘年会はビデオリベンジ大会とシャレ込み(?)たいもんです。

 12本の作品を、当方に送ってくれたみなさま、コメントいただいた先生方、作品鑑賞に集まっていただいたみなさま、そして唐津さん、本当にありがとうございました。そして準備や当日の設営に尽力してくれた運営委員のみなさまも、本当にお疲れさまでした。すべてのことに深く感謝しています。



 

 

 

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2006年12月01日

ビデオ〆切

 11月30日、ついに地区ビデオコンテスト作品の締め切り。作っている事は前に書きましたが、私いつも追い込まれないとできないので、もちろんその日の朝にはまだできていませんでした(苦笑)

 去年は大学のパソコンで編集していたので時間も限られつつ、人に見せてアドバイスをもらったりしながら作った作品でしたが、今年は自分のパソコンで編集。家でずっと作業できる安心感がありつつ、人にはほとんど見せなくて、本当に自分で作ったなって気がしています。そんなビデオが、夕方やっとできました。
 
 できたてのビデオに喜んで、直に届ける事にしました。最後まで見届けたかったので(笑)私の大学からは5本、いろんな人が作ったビデオを携えて若杉荘へ。丸子さんに無事渡して提出完了!!
 
 自分の作品が大きな画面に映し出されるとどうなるか、他の人の作品にどんな京都の風景があるのか、作り終えたらビデオコンテストが楽しみになってきました。来週が待ち遠しいです。


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2006年11月29日

二重や、三重(「みえ」じゃない)。

 いきなりだが、ここ数年、二重や三重(しつこいけど、「みえ県」に御執心とかではない)ということを考えている。

 つい先日、終わったばかりの「ミテキテツクッテ」のときも、そんなことを考えてた。なんやねん、それって感じなので説明してみたい。

 たとえばまちを歩いていて、やたらジクザク折れ曲がった道同士が何の調整もなく無防備にくっついてしまった奇妙な交差点にであったとしよう。「その場所のへんてこ具合がとても魅力的だ!」と、少なくとも僕は思ってしまう。それはその場所そのものに寄せる思いだ。

 「しかし、ちょっとまてよ」と思う。「この場所がこんなに素敵に歪んでしまったのは何故なんだ?」そう、それはおそらくその場所を包む地区全体の構造(骨格でもよいかもしれない)の在り方にそれを生み出すような原因があるはずなのである。ということは意識してないけど、そこに寄せる思いのさらに向こう側にはもっと大きな世界があるわけである。

 上は空間体験者をベースにした考え方だが、家や建築を創る立場でもうすこしこのことを考えてみると、、。

 ある奇妙な場所によりそうように建つ家。それはその1点の場所ともちろん密接な関係をもっている。そんな家の中に入る。すると何故だかひとつだけ押し入れがへんてこな向きをむいちゃっている。「なんじゃこれへんなの」って思う。だが、この押し入れは実はこの地区の基本骨格の向きに忠実にあわせてつくられてあって、地区全体から見たら、実は奇妙なのはこの家の基本的な向きの方だったのだ、、なんてことを妄想してしまうのだ(病気か?)。

 ある一点にありながら、より大きな世界での一点でもある。そしてそれらが不思議に絡み合うような家。建築。場所。そんなものにずっと惹かれている。

 さて話はいきなりとんで、地区ビデオ。僕もとってもしつこく、毎年作ってる。そしてとうとう6個目のビデオが今日完成した。それはまあどうでもよいのだが、、。

 ビデオ作っててこんなこと思ってた。僕は個人的に物語もののビデオ作りが好きなんで、今年も物語ものにした。物語。例えば、とてもベタだけど素敵なラブロマンスだったとしよう(僕のは違うよ)。そしてそのビデオの鑑賞者は単純にラブロマンスとしてなんだか感動しちゃったなあって、普通に楽しめちゃったりするとしよう。

 しかし、隠れた主題として、背景の風景がラブロマンスとはまるで別の物語を背負って展開してたとしたらどうだろう?そして、その交わらなそうな両者の距離がある場面においてだけ奇妙に交差するようなものだとしたら?

 これは先ほどの入れ子のような世界の重なりではないが、やっぱり二重の世界が表現されていることになる。そしてやっぱりそんなことを妄想し、そんなものに惹かれてしまうのだ。

 まちや都市を考えたり、ものを創ったり、そのいずれの場合でも、こんな多重なる世界を思いたいと、考えている。僕はここにいるけど、もっと別の世界にある僕でもあるんだ、というような世界。責任は持てないが、そんな世界は、とてもとても不思議で楽しいと思う。たぶんきっと。
 
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2006年11月26日

くもり、くもり、あめ。

 地区ビデオコンテストの迫る今日この頃。ビデオコンテストの開催日は12月9日ですが、ビデオ作品出品の締め切りは11月30日。去年に引き続き今年もビデオを出そうと決めて、只今制作中で締め切りに迫られています。
 
 撮りたいものにあらかじめイメージというのか一度見た記憶が残っていて、そんなものを撮りたいなぁと思っていました。
 でも、実際ロケに行くとそんなにラッキーには行かず…。天気はくもり。空はまっ白ですべてを濁らせるようなどんよりした雰囲気がカメラの中に撮り込まれていきました。天気って映像を撮るのに重要な要素だとよく分かりました。そして、一度見た風景ははその場所で二度と見る事はできないし、ビデオ(映像)は二度とないその風景を切り取ってもう一度再現できるという素晴らしさを持っているんだと改めて感心しました。
 風景を撮るというのはある意味運命に任せるようなところもありつつ、自分の感情が手や目から伝わって味が出たり、ビデオのおもしろさに気づいた最近の私です。でも、ロケに行ける余裕も残りわずかなのにも関わらずくもり、くもり、あめ。作品にしたい場所は撮ってきたけれど…、晴れたときに撮りにいけるかどうか。くもりっぽいままかもしれません。

下の写真はロケの途中に撮った写真、この場所はビデオには入れない予定です。(っていうか動画を撮っていないので。)ビデオになる場所はヒ・ミ・ツ。分からない方がおもしろいですから。

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2006年08月25日

本屋さんで。

お久しぶりです。最近インドア派のmittanです。
この前、久々にプラッツ近鉄の旭屋書店に行きました。ページの左側にも書かれているように近鉄の旭屋書店には京都げのむが置かれています。「あるかな」と思って、探してみると建築系コーナーに青く輝く京都げのむ6号が積まれていました。「あるある〜♪」と喜んだのですが、横にある本のポップがややかぶり気味で・・・。おもわずそれをよけてしまいました(笑)

それでなんとなくホッとして、自分が買おうと思っていた本を立ち読みしてると、向こうにいたんです。京都げのむを立ち読みしている人が!!!「あぁ〜!」っと思ってチラ見。若干怪しい人かもしれないですね(苦笑)
知らない人が興味もって読んでいると思うと気になってしょうがなくて。また自分の立ち読みに戻ってまたふとそっちを見たら、しゃがみこんで読んでいたんですその人。「おぉっ!」とまた喜んでしまいました。そんなことを思っていると時間が…、立ち読みにふけりすぎました。その本を買って急いで旭屋書店を出ました。あの後、その人が京都げのむを買ったのかもっと立ち読みしてたのかはわからず…。でも、少しうれしかったです。
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2006年05月31日

断面調査スケッチ

 久しぶりの書き込みです。この前の土曜日に久々に若杉荘へ行きました。断面調査から早い事にもう1ヶ月…。断面調査のデータシートをホームページにアップすべく、作業をしました。参加された方のスケッチをいくつか選んでデータに変える作業。いろんな方のスケッチに「あっ、ここ見た!」というところもあれば「あぁ、こんな見方もあるのか」と納得したり、いろいろ思いながらたのしく見させてもらいました。何人かが共通しているものもあれば独自の見方もあったり、まちを見て歩くだけでも人によって感じる事が全然違って、そこがいろんな人が集まって同じコースを歩くおもしろさなんだとよく分かりました。私はササッと描けずに、へんてこなお絵かきと言葉になってしまうので、スケッチのまとまった書き方にも感心してしまいました。
 ひととおりの材料は出来上がって後はホームページにのせるだけ。丸子さんに託されたデータがもうすぐホームページにアップされるはず。楽しみにしていてください。
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2006年05月06日

めびうすたんけん。

 遅くなりましたが、断面調査に参加された方、お疲れ様でした!4月29日、蹴上の日向大神宮に50名ほどの学生が集まり無事開催されました。今回は山際で行われた断面調査で今までとは違う坂道のアップダウンで歩くには疲れやすいコースでしたが、この高低差があるがゆえに住宅に苦労の末の工夫が凝らされていたり、不思議な場所が突然存在したりと人が住むぎりぎりのラインなのだろうと感じることがました。
 断面調査は、距離的なしんどさをどうやって楽しく歩いていくかがポイントだと思います。第4回まではひたすら一本の道を歩き、決まった項目を見つけてはプロットしていくという少々機械的な作業だったので、私の初めて参加したとき(第4回で2年だった頃)の私のゼミの先輩達はゴールに現れなかったり、過去に参加された私の大学の助手さんには「あんなにしんどいの、もう二度と行きたくない」と思われている始末…。まちを見てみようと思って歩くだけできっと普段気付かないような発見があったりすると思うのですが、余裕が無かったりすると、なかなか難しいところです。
 あの頃に比べれば興味の向くまま歩けるので、本当に探検に近い楽しさがあると思います。今回、歩く中での面白さに事前調査も含め準備の段階で設定されたコースの中でのおすすめポイントがとてもプラスになりました。
 高低差の話をしていましたが、私は線路に挟まれた住宅が特に印象的でした。電車でうるさいとは思いますがあんなに閉じられた感じの場所だからか、とても落ち着きがあって。電車の通っていないときは時間が止まったかの様な錯覚さえしました。でも、その地区の注意書きにあったように地図を見て入れそうと思った道が行き止まりだったために気力を失い全部はまわれませんでした。いつか一人で歩いているかもしれないです。
 当日、個人的な問題として風邪が治りきらず、「顔色悪いですよ」と言われ、歩ききれるか心配でした。正直、駅の段差でこけてしまったり、立ちくらみしたりしていたので。けれど、歩く事で汗とともに熱が取れたのか疲れた割に元気になりました。
 ゴール地点で石段に座りながらまわった地区の話をしたり、レポートを書たりしている人をみて、みんなそれぞれにいい物を見つけてきたのだろうと思いました。次の日、当然のごとく筋肉痛になりましたが、楽しかった断面調査でした。

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2006年04月25日

小さな戦い。

 「けんちくの手帳」、m_mさんがお書きの通り会は成功に終わり楽しい一夜でした。8時から講演ということで大人の方が集まる会?と勝手に思っていたら意外に若い方が多く。いろんな人に京都CDL&京都げのむを知ってもらえた事を嬉しく思います。
 当日は、準備とリハーサルを兼ねて午後二時に編集委員たちが拠点若杉荘に集まりました。ビデオコンテストで使った手作りスクリーンにパワーポイントを映しながらプレゼンの予行練習。よりよくするために感想を話し合い検討しました。販売する京都げのむも用意していざ会場へ、打ち合わせなどもして「けんちくの手帳〜京都げのむ〜」が無事終了した訳です。そんなうらで小さな戦いが…。私事ですが集まった14時から空腹と戦っていたのです。お昼を軽めに食べたこともあって、「お腹空いたな」と心の中で思っていました。タイミングを逃して結局会が終わる23時までご飯を食べなかったのですが、会の成功で気持ち的にはお腹いっぱいになりました。もちろん夜ごはんは食べましたけれど。
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2005年12月15日

おかしなテンション。

ビデオコンテストでもう一つおもしろかった事があったのを忘れていました。
私が写真におさめたのがこれしかなかったので今更ながら恥ずかしい写真ですが、公開してしまいます。この顔についてる素敵な飾り(しめ縄)が今回の3位入賞者の商品でした。1位と2位はクリスマスな感じの物で…。トロフィーとは一味違っておもしろいというか、なんといえばよいのかいい商品ですね。
ビデオコンテストが終わって久々に会ったこともあって話していると変に盛り上がってこんなことに…、まっ、楽しかったです。
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2005年12月13日

地区ビデオコンテストを終え、たら、まだダメ。

 12/10日の地区ビデオコンテストは盛況のうち、まくを閉じた。

 始めての若杉荘でのコンテスト。しかも1階と2階を会場とする立体上映構成、さらには1階会場の模様がリアルタイムに2階に映写され、しかし、2階からは電話しか通じないという、不完全双方向システムの導入など、意欲的かつヘンテコな、そして魅力的な会であった。

 作品も18作品集まり、前4回で、なかなかたどりつけなかった「地区風景へ向かう意志」が今回ようやく芽吹いた感があった。5年間、やめなくて本当によかった。これらの作品は近々、作品集として、ホームページで概要と「一押しシーン」を紹介する予定なので是非、是非、御覧ください。

 若杉荘という自分達の拠点を舞台にした準備作業も面白く、当日にmittanに指摘されて、大慌てで、けれども意地でも「手ぶれせずに」CMを撮影するなど、いろんなハプニングも含めて、収穫が多い会ではあった。

 しかし、会が終了して3日くらい経過して、改めて感じたことが幾つかでてきた。しかもそれがずっと僕にひっかかって離れてくれないので、ここに書き留めたい。多分、次回以降の地区ビデオコンテストの発展につながっていくようなことだと思う。

 まずは、同じ作品を見ているのに、見る人によって、受け取り方に、あまりに多くのズレが発生してしまうことである。例えば、月曜日に見たドラマに関して火曜日にその話題をしても、内容に関する理解がズレて、会話がなりたたないなんてことは、ほとんど発生しないだろう。と、いうよりもズレが発生し過ぎたらドラマ自体がなりたたなくなってしまうだろう。

 それなのに、地区ビデオはよくズレるのだ。それはその作品に多重な意味が巧みに内臓されているからでは断じてない。おそらく撮り手の意図に反して映像がひとり歩きしてたり、映像を編集しているうちに意図が霧散していたりすることが原因なのだ。意図にガチガチに縛られてやたらに説明的なビデオなんてすごく嫌だが、意図の骨格だけは絶対ぶれないように作品を作り上げなければならないことをあらためて感じた。

 次に、すごく「惜しい」作品が多いことである。それは制作者自体がいちばん感じたことであるかもしれない。でも、この「惜しい」感じを、あと1年凍結させてしまったら、おそらく「惜しい」気持ち自体が行方不明になってしまうだろう。多分、1年後はリセット、リスタートっぽくなってしまうに違いない。

 今回集まった作品自体は今回のものとして保存をしておくが、近いうちに、問題点を修正した改良版を上映する「リベンジ大会」を是非やるべきだと考えている。モチベーションがあがりにくいなら、何処かに出展する場を考えてもよい。それでもやるべきだと思う。何故なら、ある部分さえ修正したら、今回受賞した作品のレベルを遥かに越えて、地区風景の真に迫るような作品となりうるものが何点かは確実にあるからなのだ。この修正作業を怠ってきたことが、これまで遅々として作品の質があがらなかった理由ではなかったかと考えられるのである。

 ただ、このようなことを改めて思うことができたのも、地区ビデオコンテストが成長してきたことの証しなのではないかと思う。前までは気付きもしなかったのだから。上記のようなことをクリアして、来年はあっと驚くほどの地区ビデオコンテストにしたいと、強く感じている。
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2005年12月12日

長文御免。小京都雑感

 以前、「京都げのむ2号」の特集で、京都の問題物件を扱ったことがある。問題物件とは、古くは京都タワー、近年だと京都ホテルやモヒカン山など、大概は京都の「景観破壊をひきおこす」物件たちである。

 ただ、これらは、建設決定の際、もっとも脚光(猛烈な反対を受ける)を浴び、それをピークにして、完成後しばらくしたら、全くさわがれもしない奇妙な輩で、京都の風景になんとなく馴染んでしまう(京都ホテルを見よ!)のである。

 このことから、京都の景観なんてものは、単なる幻想に過ぎず、その幻想を維持し続けるためにこそ、問題物件が必要とされるのではないか、という結論を「げのむ2号」では下していた。要するに、建設反対運動に熱狂することで、あたかも守るべき美しい風景があるかのような幻想を抱くことができるというわけである。

 では、京都の景観、都市構造を何らかのかたちで模倣した小京都なるところでの事情はどうなのだろう。今年、秋田県角館(かくのだて)という、東北地方の小京都で仕事をする機会があり、その町がおかれた状況にナマで触れてしまった。

 角館は小さな城下町であり、北と東に山、西には川(京都の鴨川にあたる)があり、山の名前も華頂山など、京都にちなんだものがあり、まさに京都をモデルとした町である。また近世に計画された都市骨格(街路幅や町割りなど)がほとんどそのまま残されており、そのことがこの町の性格と美しさの源泉となっていた。

 では、そこに問題物件が建設されるとどうなのだろう。京都のようであるなら、問題物件を「いけにえ」に、ひらりと身をかわしながら幻想を振りまくはずであるが、、。

enkei.jpg

 結果は最悪である。写真後方に見える円形レストランを備えた、この町でひときわデカいホテル建築(20年前に完成)。街区スケールをあきらかに逸脱し、南北3キロ程度、幅1キロ程度しかない、この町では、まさに宇宙からやって来た最凶怪獣のごとくに大暴れである。どこから町を見てもその「醜悪な姿ビーム」にやられてしまう。

 また、町南半分の町人街の典型的な建物であった町家も、現在では数えるくらいしかなく、これも京都以上に、ひどく目につく。

 さらには、保持されてきた都市骨格にも手が入る。町のなかで中規模くらいであった道路の1本がゴリゴリに拡幅され、その道に面した建物は全て解体新築を余儀なくされた。単なる幹線道路としての拡幅は、かつての都市構造のヒエラルキーと無関係であり、その薄ら寒い風景は町を絶対零度と化す。

 この道路拡幅にともない、僕の父の生家(といっても僕はほとんど探訪したことがない)も解体する運命にあったのだが、無理矢理、曵くことにした。おんぼろな町家なのだが、これを潰すと、この通りに面する町家は0軒となってしまうので。僕の仕事とは、おんぼろ町家を曵くことと、その結果一部解体した部分に小さな増築をほどこすことであった。

 それはそうと、小京都と京都はまるで違う。まずは、京都は現代都市であるが、少なくとも角館は都市ではない。だから都市スケールの新陳代謝を受け付ける体力(語弊があるなら骨格と内蔵)など、はなからないのだ。

 また先ほどの道路拡幅は、角館の観光目玉である武家町のメイン道路を無電柱化、かつ、完全歩道化(アスファルトもはがす)するための、代償行為であるのだが、観光の「ハイライト地区」と、その他部分を分離するほどの体力も、やはりないのである。結晶化された骨格こそがこの町の全てであったといっても過言でないほど、小さな小さな町なのだ。

 しかし、小京都は京都に対する憧憬がある。これは憶測ではあるが、「京都では、新しい大きな建築がいっぱいあるよ」「町家だけでなく新たな家もいっぱいだよ」「ハイライト地区と、そうでないところをうまく使いわけてるよ」なんていう、現代都市:京都の模倣が、そこにはあったのではなかろうか。現代都市でもない、小さな体が誇りの町であったことを忘れて。

 小京都の問題物件は、京都と違い、本当に問題物件である。そして、京都の問題物件の問題は、京都における問題ではなく、それが小京都に「移植されること」にこそあるように思われる。小京都は腐っても京都を本家と思うべきか、親離れして自分を見つめ直すか、早急に決断せねばならないだろう(もう手後れな部分も多いが)。

gaikan.jpg

↑ 曵いた、おんぼろ町家の外観。切妻妻入り、下方に下屋がつくのが、この町に典型的な町家。この道路沿いには町家はもうない。後ろ上方に突出する屋根は増築部分の上屋である。

zochiku.jpg

↑ 曵家後方に増築された部分の外観。
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2005年11月22日

鳥居下にて…。

19日、ミテキテツクッテの1日目。スタッフは8時に鳥居下に集合!であったはずなのに…、ギリギリであせって訪れると、そこには誰もいなかった。寒い冬空の下、一人つっ立った私はかなり怪しかった事であろう。早く来ていたのに場を離れていたzukanさんとしばらくして合流し、一安心。それまでのほんのしばらくが寂しいというか不安で、まぎらわしに写真を撮ってみた。真下から見上げた鳥居はちょっときれいで、うれしくなった。
受付や町歩き、移動、制作などかなりハードな一日でしたが新しい発見とまちのおもしろさ、作ることのたのしさの方が大きかったです。粟田学区、いいですね。
ミテキテツクッテ.jpg
posted by mittan at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 所感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月14日

思わず大ヒント授与。「地区ビデオ」

 突然なのだが、京都CDLには監督と呼ばれる人たちがいる。そもそもCDLの「L」は「リーグ=League」の「L」というわけで、大学研究室をチームとした、「まちづくり提案」のチーム対抗リーグ戦を繰り広げるというのが主活動なのだ(現在はチーム対抗戦は休戦中で、「CDL」という連合チームで、共同戦線をはりながら都市観察や、さまざまな提案を行っています)。
チームがあるなら、当然、監督がいるわけである。もちろん、各研究室の先生が監督である。

 前置きが長くなってしまったが、今回はそんな監督のひとりである平安女学院大学の中林浩先生から頂いた、非常においしい、「ヒントな」お話を紹介させていただきたい。

 2年前に第3回地区ビデオコンテストを開催したが、この回は20余りもの作品が集まり、上映会あとの審査会は混迷を極めた。作品の傾向、狙いもさまざまで、明解な評価軸を設定するのが困難だったのだ。そんな中、中林先生は作品の評価軸として「京都の「何か特別な場所」を扱うのではなく、日常を扱っている作品を、まずは評価したい」という発言をされ、それは、
このコンテストの核心となるであろう内容であった。ただ、この回に集まった作品は、その軸に応えうるものが乏しく、その軸から展開されていくであろう発見性と可能性が、残念ながら示されることはなかった。

 しかし、中林先生の言葉が、ずっと、小骨が咽に刺さったかのように「ひっかかり」続けていた。その後、第4回目の地区ビデオコンテストを開催するも、やはりこの「軸」に「触れそうで、触れきれない」ような作品を見るにとどまり、さらに1年が過ぎていこうとしていた。

 現在、第5回目の地区ビデオコンテストの作品を募集中ではあるが、「今年はどうなのか?」という思いで悶々としている折、かの中林先生が作品出展するという噂がどこからともなく流れて来た。そこで辛抱できずに、中林先生に「噂がありますが、実際のところはどうですか?」と無遠慮な問いを投げかけてしまったのである。その回答は以下のようなものだった。

「残念ながら出品の予定は立ちません。ぜひ挑んでみたいものです。ことしのテーマも魅力的です。
 わたしは映画通ではありませんが、旅行先のホテルのテレビでキアロスタミというイランの監督が作った「白い風船」というのを見ていたく感激し、ヤフオクでこの監督のものを5作品ほど買いました。受賞作があってけっしてマイナーな監督ではないのですが、なかなかユニークです。
 ストーリーらしきものがないから「白い風船」のように単純です。「友達の家はどこ」は友達にノートを返しに行くだけのものです。イランの都会の日常生活をさりげなくするどく描いています。「宿題」という映画(というよりドキュメンタリー)では、小学生と親に宿題
についてのインタビューをしていくだけのものなのですが、イランの家庭と地域がどういうものがだんだんわかってきます。こういうのができたらやりたいですね。」

 中林先生の作品出展の噂は、残念ながら「がせネタ」だったわけだが(僕自身、誰から入手したかも思い出せないくらい、本当にどこからともなく漂ってきた噂ではあった)、先生の回答には、今回のコンテスト作品制作への、非常に大きなヒントが満載である。「友達の家はどこ」も「宿題」も、このタイトルにはほとんど意味がなく、映画の内容や「狙い」を示すものでは、全くない。「本当に描写したいもの」を引き寄せるための単なる「ガイドライン」に過ぎないのである。一応タイトルどおりの条件で時間が進んでいくが、そこを透けて見えてくるもの、、、。これ以上言う必要もないだろう。

 僕のそそかっしさから、始まったメールのやりとりではあったが、とんでもなく大事なヒントを先生から授かった、と深く感じ入ってしまった。

 12月10日の上映会、不安よりも、期待の方が大きくなった、現金な僕であった。
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