2006年12月11日

地区ビデオコンテストにおもうこと。

 去る2006年12月9日に、第6回地区ビデオコンテストが開催、盛会のうちに無事閉幕した。

 地区ビデオコンテスト、実はこれ、CDL発足時から活動として組み込まれてた企画ではなかったものだ。CDLでは、まちを調査して記録して、それをもとに何らかの提案をして、パネル化したものを材料にメンバーが競いあうというのが、基本活動であり、それゆえ、とかく初年度は調査調査したノリで、正直いうとしんどかった(それをみなに強要するのも含めて)。そして事実しんどい空気が蔓延しつつあったのだ。

 「こりゃいかん」って思い、何となく、こんな発言をした。「パネル面倒くさいから、僕はビデオでもとろっかな」この発言、思わぬ反響を呼んだ。「ビデオいいねぇー」と立命館のH田さん。「僕ら、本当にとりますよ」と市立芸術大学のF井くん。おっ、こんなにノリノリなのは運営会議史上初めて!ということでコンテスト開催になったのだ。僕がビデオとか作るの好きなのも勿論あったけど。そしていざ大会開催すると、とてもとても面白く、わくわくできる表現領野であることがわかったのだ。都市風景描写や記録する意味においても。

 さて、出だしはよかったのだが、このあと全く順調でなかった。以前にも書いたが、映像をみんなで見る楽しみが、内輪うけ(しかしない)の映像制作のみに傾斜したり、風景描写を全く忘れて徒にパソコン編集にコリコリになっちゃったり。あげくに企画のメジャー化(最初は「あなぐら」みたいなところでひっそり開催していた地下企画だったのだ)にともない、変に「まちづくり」を意識した優等生的(小学校の道徳の時間みたい!)作品が、どんどん生産されたり、、、、。ここらへんのくだりは「京都げのむ」1号〜6号まで通読してもらえるとほんと、よくわかります。

 そして、紆余曲折を経て、ようやく昨年の第5回目にしておぼろげながら、地区ビデオの本質みたいなものが見えはじめ、今回に至ったのであった。結局、風景の発見性とは「見慣れたまちを、見知らぬようにみる、見知らぬまちを、見慣れたようにみる」という視点から獲得できるものなのではないか?この思いが、「見慣れたまちを見知らぬように」という昨年の大会のテーマを決定させた、しかも今年もそれを継続させた理由なのであった。

 さて、今年度である。今年は12本の作品が集まり、内容も昨年よりもバラエティに富むものであった。ただ、それらの作品群のお話をする前に、今回の大会で特筆すべきことは、初めてプロの映像作家、唐津正樹さんに作品を見ていただけたこと、そしてそのプロの作品をナマで見ることができたことであった(唐津さん、本当にありがとうございました)。

 プロの作品は、当たり前だが、僕たち素人のそれとはまるで違っていた。
技術と思いが一体化してなおかつ飛躍できるのがプロなんだと感じいってしまった。その作品「喧噪のあと」では、日常と非日常的事象が絶妙な絡みあいを見せながら淡々と時間は進み、ほんの一時、暗喩的にモヒカン山が映る。しかしモヒカン山が暗喩するものは隠されたままであり、にもかかわらず(そのせいかもしれないが)モヒカン山とその背後にある何ものかが僕の脳随を侵食してくるのだ!そしていつしか物語りは終わっていくのである。

 風景描写とは風景を主に撮れば、描写されるものではないことを知ったし、風景をたとえ撮り続けてたにしてもその表層を超えるものがある瞬間に跳躍して迫ってくるものでなければならないんだと痛感した。

 さて、僕個人はというと、物語と背景に映る風景のズレが、もうひとつの風景を生み出してはくれないかと思い制作した。それはある程度までは達成できたけど、その二つの間のズレのさらに向こうに、もっと遠くにある世界の風景物語が密かに展開できるような、そんなものにはならなかった。「多重なる世界」を描き出せるには、いろんな意味で力不足だった。

 会が終わり懇親会で、それぞれに達成できたこととできなかったことを語り続け、その後さらに戦い済んだ、上映会場:若杉荘で、運営委員メンバーが再度、当日集まった作品や、過去の作品を何度も何度も見ては、今からこそが戦いみたいなテンションで互いの作品や自身の作品のこと、そして今後撮りたいものなどを朝まで語り明かした(なんて、あつくて、コイ会であったことか)。

 僕たちは、全然プロではない。そんな僕たちができることは、まず何よりも撮る対象に、しつこく、しぶとく迫ることだ、、、ってのが僕の持論なんだけど、その僕自身がこれを十全に果たしているとはいいがたい。そしてこの持論は単なる持論でなくおそらくみんなにとっても絶対必要なことなんじゃないかと思っている。じゅうぶんに風景を描写できなかったことのくやしさは、編集の稚拙のくやしさではなく、場所との向き合いの中途半端さに起因するんだ、と思う。

 あの夜の「あつさ」を忘れないためにも今度こそ、ビデオリベンジ大会実施しよう。昨年結局せぇへんかったやんけという猛烈な反省もあるし。みんなもう、臨戦体制だよね?っということでCDL忘年会はビデオリベンジ大会とシャレ込み(?)たいもんです。

 12本の作品を、当方に送ってくれたみなさま、コメントいただいた先生方、作品鑑賞に集まっていただいたみなさま、そして唐津さん、本当にありがとうございました。そして準備や当日の設営に尽力してくれた運営委員のみなさまも、本当にお疲れさまでした。すべてのことに深く感謝しています。



 

 

 

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2006年12月01日

ビデオ〆切

 11月30日、ついに地区ビデオコンテスト作品の締め切り。作っている事は前に書きましたが、私いつも追い込まれないとできないので、もちろんその日の朝にはまだできていませんでした(苦笑)

 去年は大学のパソコンで編集していたので時間も限られつつ、人に見せてアドバイスをもらったりしながら作った作品でしたが、今年は自分のパソコンで編集。家でずっと作業できる安心感がありつつ、人にはほとんど見せなくて、本当に自分で作ったなって気がしています。そんなビデオが、夕方やっとできました。
 
 できたてのビデオに喜んで、直に届ける事にしました。最後まで見届けたかったので(笑)私の大学からは5本、いろんな人が作ったビデオを携えて若杉荘へ。丸子さんに無事渡して提出完了!!
 
 自分の作品が大きな画面に映し出されるとどうなるか、他の人の作品にどんな京都の風景があるのか、作り終えたらビデオコンテストが楽しみになってきました。来週が待ち遠しいです。


posted by mittan at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 所感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月29日

二重や、三重(「みえ」じゃない)。

 いきなりだが、ここ数年、二重や三重(しつこいけど、「みえ県」に御執心とかではない)ということを考えている。

 つい先日、終わったばかりの「ミテキテツクッテ」のときも、そんなことを考えてた。なんやねん、それって感じなので説明してみたい。

 たとえばまちを歩いていて、やたらジクザク折れ曲がった道同士が何の調整もなく無防備にくっついてしまった奇妙な交差点にであったとしよう。「その場所のへんてこ具合がとても魅力的だ!」と、少なくとも僕は思ってしまう。それはその場所そのものに寄せる思いだ。

 「しかし、ちょっとまてよ」と思う。「この場所がこんなに素敵に歪んでしまったのは何故なんだ?」そう、それはおそらくその場所を包む地区全体の構造(骨格でもよいかもしれない)の在り方にそれを生み出すような原因があるはずなのである。ということは意識してないけど、そこに寄せる思いのさらに向こう側にはもっと大きな世界があるわけである。

 上は空間体験者をベースにした考え方だが、家や建築を創る立場でもうすこしこのことを考えてみると、、。

 ある奇妙な場所によりそうように建つ家。それはその1点の場所ともちろん密接な関係をもっている。そんな家の中に入る。すると何故だかひとつだけ押し入れがへんてこな向きをむいちゃっている。「なんじゃこれへんなの」って思う。だが、この押し入れは実はこの地区の基本骨格の向きに忠実にあわせてつくられてあって、地区全体から見たら、実は奇妙なのはこの家の基本的な向きの方だったのだ、、なんてことを妄想してしまうのだ(病気か?)。

 ある一点にありながら、より大きな世界での一点でもある。そしてそれらが不思議に絡み合うような家。建築。場所。そんなものにずっと惹かれている。

 さて話はいきなりとんで、地区ビデオ。僕もとってもしつこく、毎年作ってる。そしてとうとう6個目のビデオが今日完成した。それはまあどうでもよいのだが、、。

 ビデオ作っててこんなこと思ってた。僕は個人的に物語もののビデオ作りが好きなんで、今年も物語ものにした。物語。例えば、とてもベタだけど素敵なラブロマンスだったとしよう(僕のは違うよ)。そしてそのビデオの鑑賞者は単純にラブロマンスとしてなんだか感動しちゃったなあって、普通に楽しめちゃったりするとしよう。

 しかし、隠れた主題として、背景の風景がラブロマンスとはまるで別の物語を背負って展開してたとしたらどうだろう?そして、その交わらなそうな両者の距離がある場面においてだけ奇妙に交差するようなものだとしたら?

 これは先ほどの入れ子のような世界の重なりではないが、やっぱり二重の世界が表現されていることになる。そしてやっぱりそんなことを妄想し、そんなものに惹かれてしまうのだ。

 まちや都市を考えたり、ものを創ったり、そのいずれの場合でも、こんな多重なる世界を思いたいと、考えている。僕はここにいるけど、もっと別の世界にある僕でもあるんだ、というような世界。責任は持てないが、そんな世界は、とてもとても不思議で楽しいと思う。たぶんきっと。
 
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2006年11月26日

くもり、くもり、あめ。

 地区ビデオコンテストの迫る今日この頃。ビデオコンテストの開催日は12月9日ですが、ビデオ作品出品の締め切りは11月30日。去年に引き続き今年もビデオを出そうと決めて、只今制作中で締め切りに迫られています。
 
 撮りたいものにあらかじめイメージというのか一度見た記憶が残っていて、そんなものを撮りたいなぁと思っていました。
 でも、実際ロケに行くとそんなにラッキーには行かず…。天気はくもり。空はまっ白ですべてを濁らせるようなどんよりした雰囲気がカメラの中に撮り込まれていきました。天気って映像を撮るのに重要な要素だとよく分かりました。そして、一度見た風景ははその場所で二度と見る事はできないし、ビデオ(映像)は二度とないその風景を切り取ってもう一度再現できるという素晴らしさを持っているんだと改めて感心しました。
 風景を撮るというのはある意味運命に任せるようなところもありつつ、自分の感情が手や目から伝わって味が出たり、ビデオのおもしろさに気づいた最近の私です。でも、ロケに行ける余裕も残りわずかなのにも関わらずくもり、くもり、あめ。作品にしたい場所は撮ってきたけれど…、晴れたときに撮りにいけるかどうか。くもりっぽいままかもしれません。

下の写真はロケの途中に撮った写真、この場所はビデオには入れない予定です。(っていうか動画を撮っていないので。)ビデオになる場所はヒ・ミ・ツ。分からない方がおもしろいですから。

IMG_1124.jpg
posted by mittan at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 所感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

学食対談

 ミテキテツクッテが終了して、地区ビデオコンテストもせまっていますが、「京都げのむ」7号に向けての活動もやってます!

 11月24日、げのむ記事にするための学食対談が京都大学の学食にてひっそり行われました。初めて訪れた京都大学は、学園祭真っ只中でした…。何も知らずに、正門前のバス停を下りると、やったら元気な学生がいっぱい下車して…、「んっ?」と学校の方を見ると大きな看板とたくさんの人。「マジでっ!」と若干しんどくなりつつ待ち合わせをしていた正門に向かうと、知った顔が。ホッとしました。たくさんの出店をかき分けて向かった食堂はやっぱり人が少なくて、おかげで対談しやすい環境でした。

 集まった5人で自分の大学の食堂について自慢したり、語り合って、その内容が記事になります。大学によって学食もかなり違って面白かったです。たくさん話して少しぐったりしたところで対談は無事終了。内容は後日京都げのむ7号にて。

gakusyoku.jpg

posted by mittan at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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